見出し画像

意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.421 課外活動本格デビュー 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。
 そこで意識的に自分の殻を壊し生まれて初めての部活·サークル活動に本格参加した話の続編。マイクロマウスに挑戦した話です。

経緯
…………………………………………………………………………………………………………
 ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとした選んた駿台予備校が良かった…
 駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。

 その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。

 しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の

 意識的に自分の殻を壊す

です。

 入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。

 意識的に自分の殻を壊す意味で、学業に特化した人生から自分を開放し、生まれて初めて航空宇宙研究会というサークルに入りました。

 その辺りはこちらをお楽しみ下さい。

 当時、大きく3プロジェクトが有りました。ロケットの燃焼実験、コンピュータの製作、アナログシンセサイザーの製作です。
 私はその全てのプロジェクトに参加していました。
ロケットの燃焼実験についてはこちらをお楽しみ下さい。

 コンピュータプロジェクト。

 私が同時代の学生として黎明期のマイコンの進化を楽しみ尽くした話はこちらをお楽しみ下さい。

…………………………………………………………………………………………………………

 このマイコンの進化で、急速にマイクロプロセッサーの価格が下がりコンピューターから組込機器への普及が加速しました。

 その流れでマイクロマウスという組込コンピューターの普及促進のためのは競技会が生まれました。正確には、目的は

技術の習得、教育、国際親善・連携に大きな役割を果たしており、日本でも将来を支えていく為の若手技術者の人材育成事業として貢献

ということだそうです。まぁこのお陰も有って公共インフラから自動車、家電など、最近は自転車までマイコン制御される程の普及を果たしました。若手技術者の人材育成事業としては成功ということですね。私も半導体製造·販売に携わり、家電、パソコン、プリンター、携帯機器への普及を促進したのである意味ではその人材育成された1人ということですかね。(笑)

 そもそも1977年にIEEE(米国電気電子学会)がこの競技を提唱しました。本邦では、公益法人ニューテクノロジー振興財団さんの支援のもとで1980年から「全日本マイクロマウス大会」が 毎年開催されています。

 マイクロマウス競技は、参加者自らが作った自立型ロボットが自律的に(自分の力だけで)迷路を探索し、 ゴールまでに達する最短時間を競う競技と定義されています。

マイクロマウス競技会
公益法人ニューテクノロジー振興財団

ですから私がこれに挑戦し始めた頃は、正にこの競技会が日本で開催され始めた頃というタイミングでした。

 当時の競技の参加者の主流は、スタート時に右か左のどちらかの壁を選びその壁伝いにひたすら走ると必ずゴールできるというロジックでした。勝負は加減速、右左折の速さ。 
 それに対して私達のアプローチは、当時技術革新が目覚ましかった画像処理·解析技術を駆使することでした。

 奇想天外。

 スタート地点で迷路の画像を撮り、マイコンでゴールへの最短経路を計算し、後はその計算結果に従ってゴールまで移動するというものでした。

 仲間と画像処理·解析技術を基礎から学びマイコンでの経路計算のアルゴリズムを作りました。当時は、ザイログ社のZ80という使いやすく安価な8ビットマイクロプロセッサーが普及してかなり開発は早く進んだのですが、それでも2年以上を費やし卒業となってしまいました。

 私もバブル期にシリコンバレーのベンチャーの中に入って技術開発と技術移転を担当したのですが、ザイログ社はシリコンバレーのベンチャー企業の生き様の典型のような気がします。成功してもがいて最後は大手からの買収の餌食…

 そのザイログ社については以下を…

 結局マイクロマウス競技には出場しませんでした。しかしIEEEやニューテクノロジー振興財団さんの目論見通りエレクトロニクス分野の先端技術を網羅的に短期間で身につけることができました。大学の講義も楽しいですが、知的レベルの高い仲間と研究開発するのも同じぐらい楽しい。

 しかもその経験は上述の様な半導体デバイス開発·製造、自ら作った商品のマーケティング、セールス、事業の企画という形で社会に貢献できたと感じています。

 その辺りはこちらをお楽しみ下さい。

 経緯で紹介した4.41のロケットプロジェクトではイグジットの1つはJAXAさんでしたが、私の場合は鉄鋼会社、IT会社、総合商社だったと言うオチですかね。

 こんな感じで高校生時代からは完全に自分の殻を壊して、敢えて最先端技術に挑戦したのです。結局それがある意味で人生の方向を決めることになったということでしょうかね。

 何れにせよとても心地良い時間が流れていました。

つづく


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?