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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2022年7月の記事一覧

空くらい見上げたらいいのだ

空くらい見上げたらいいのだ

蒸発して水蒸気になった水が、
空へ還っていくように。

かたちのないものは皆、
空へ還っていくような気もする。

いつでもそこにあるのだから、
時々は、
空くらい見上げたらいいのだと思う。

自分もいつか、
かたちがなくなり
重さもなくなったらなら、
重力も働かないだろうから、
空へと還れるのかもしれない。

あんな美しい場所に
最期は還れるのなら、
なんて幸せなことだろう。
なんて救いのあること

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時間を「ゆるゆると」大切に使う

時間を「ゆるゆると」大切に使う

【本日の極論】
「時間を大切に使う」というと、
つい「キッチリキチキチ」に
使おうとしてしまいがちだが。

「ゆるゆると」大切に使う、
という考え方もあると私は思うのだ。

いや、例えば
予定なんてただの予定でしかないのに、
キッチリ詰めたそれが崩されただけで、
不安になったりイラついたりしたら、
そんな時間の使い方こそ
もったいないではないか。
――と、ふと思ったものだから。

「比較的どうでも

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「楽しみたがる」!

「楽しみたがる」!

もっと楽しみたがってこう!

つまり、楽しい気分をひたすら求めていこう!
「楽しい」を求める自分の心を
もっと大事にしていこう!

落ち込んでいる暇はない。
本当にその通りだ。

生きている時間なんて有限だし、
それならその限られた時間、
落ち込んでいるなんて
どう考えてももったいない。

反省は大いに結構!
でも「反省」に実は
「落ち込み」はいらない。
何故ならその二つは別物だから。

そして、

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生まれてこの方ずっと「生きている」ものだから

生まれてこの方ずっと「生きている」ものだから

「死にかけた」経験が、私にはない。

命にかかわるような病や怪我も、
暴漢に襲われたことも、
山で遭難したこともない。
溺れたことすらない。
(あ!唯一、
食べ物が喉に詰まったことはあった。
――いや、ホントに
あの時は死ぬかと思った。笑)

(その「食い意地臨死体験」を除けば、)
これまで「そういう目」に遭わずに来たという
それだけで、
よくよく考えてみれば相当に
「ありがたい」ことなのだが、

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【余談】でも時には「感情的」になるのも大事なことかもな

【余談】でも時には「感情的」になるのも大事なことかもな

他人はもちろん、自分自身でも、
「人を統制する、操縦する」みたいなことについて
いい面もあるのかもしれないが、
そうでない面もあるかな?という
今回はお話しです。

ふと気づく。

「怒り」って、
「最近の」自分の場合、
(つまり昔は少し違ったけど、)
ごく親しい人に対しての方が
湧きやすいものになっているかもしれないな、と。

(今回は、いつにも増して、
至極「個人的な感覚」の話です、終始。)

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素敵な「上機嫌」-怒っても仕方ないことは-

素敵な「上機嫌」-怒っても仕方ないことは-

このたび、私は決めたのです。

怒っても仕方ないことは
一切怒らんでいこう!

「機嫌よく怒る」なんて
そんな器用なこと、
自分はできないし。(笑)

「不機嫌」は、
明らかに「不幸の入り口」である。

つまり、不幸と引き換えてでも
価値があると思える「怒り」だけが、
「怒る意味がある怒り」だ。
(つまりまあ
「仕方なくない怒り」については
仕方ないとしていいけどね、
ということでもある。
……っ

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システム・ロボット・歯車

システム・ロボット・歯車

こちらの記事では、あまりそこに説明を付け加えずに一言だけ、私はこんなことを書いた。

「させたい」のほうは、解しやすいと思う。

たとえば、「床掃除をしてもらおう」と思った時に、(細かいこだわりとかクオリティーを問わなければ、つまりすべてのことを「ただの作業」とみなすなら、)「人」と、「お掃除ロボットのルンバ」とだったら、どちらがより頼みやすいか、動かしやすいか。

つまり、「させたい」と考える方

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「集団」より「個」を尊重したい

「集団」より「個」を尊重したい

私が、「集団」より「個」を尊重したいと思う理由。

『「個々の気持ち」より「集団の意向」を「必ず」尊重する。』
という、これが「基本設定」になってしまうと、せっかく備わっていたはずの「一人の人間としての気力」が、削がれていってしまうと思うことがまずある。

もちろん、「私は自分ではなく誰かのためにこそがんばれるのだ」と感じる人もいるだろうし、別に私はそのこと自体には共感できるのだが。

然るに、「

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いつかすべてを忘れてしまう時までに

いつかすべてを忘れてしまう時までに

昨日、実家の母と電話で話したのだが。
――うーん、相当「忘れっぽく」なっているなあ。

(いやまさか、――そんなことまで憶えていないの?)
(まあ、20年以上前のことではあるけれどさあ……。)
(でも、実の子供である自分の事について、ええーっ、そんなことも忘れちゃうもの?!)
――その場の遣り取りの中での言葉には出しはしなかったが、「母がそれを忘れているということ」が若干、ショックではあった。(笑

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「信じる」必要がなければ「疑う」必要もないのにな

「信じる」必要がなければ「疑う」必要もないのにな

昨日書いたこちらの記事。

そこにいただいたコメント(改めましてありがとうございます!)に返信していて、気づいたことなのだが。(おかげでまた一記事書けました!!笑)

自分、基本的には大概のことが「ど~でもいい」人間なんです。ホントはね。
何故なら、元から何も「信じ切ったりしない」ので、そうすると「疑う」必要がなくなるんです。(笑)

「信じる」と「疑う」は、正反対に見えながら、実はセットであるし

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「信じだしたらきりがない」のほうが正しい

「信じだしたらきりがない」のほうが正しい

「疑い出したらきりがない」
なんて言い方があるけれど。
――今の世の中はその逆のほうが正しい気がした。

「信じ出したらきりがない」
こちらの言い方のほうが、しっくりくるように、私には今感じられて仕方がない。

自ら探りにいかないと、誰かが「真実」を届くように投げてくれるわけでもない今の世の中だ。――「知らされて然るべき真実」でさえも、まったく遮られ、見事にすっかり隠されてしまうことも多いのだ。

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インプットしたらアウトプット!

インプットしたらアウトプット!

本日の極論。(笑)
知識や記憶は「蓄積する」ものでもあるけれど、「流れている」「動いていく」ものでもあると思う。

「知識とは人から人へ伝えられていくものだ」という意味でももちろん「流れている」「動いていく」なのだけど、それだけの意味ではなくて。

個人の中でも、「動いている」「流れている」のがそもそも自然な形なのではないか、――と、私は感じるという話なのである。

一例として、知識も記憶も、頭の

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「理屈」以外の言葉を知らない自分

「理屈」以外の言葉を知らない自分

私の文章のクセなのであるが、
私はどうも
「理屈をこねまわす」
「説明したがる」
そんなタイプのようである。

つまりそこらへんは得意なので、
それらに則って書くと、
割とどこまででも書けてしまったりもする。
(いつもそれにお付き合いいただいている皆様、
本当にスミマセン!)

いや、人様に、
(――もしかすると数年後の自分自身にすら、)
「伝わるように書き残す」ためには、
「理由もなく」とか

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noteを毎日書く理由

noteを毎日書く理由

「考えごと」にも、「鮮度」というものは、あるものだろうか。

「考えは刻々と日々移ろう」というところもある。
夜悩んでいたことが、翌朝には「何故そこまで?」となっていた、なんてことはよく聞く話である。

しかし、それは「水面付近か浅いところ」を漂っているような「悩み」であって――然すればそれは、光の当たり方によって、明るくも見えれば暗くも見えるようなもので――深いところに存在して動かない「悩み」な

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