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いつかすべてを忘れてしまう時までに

昨日、実家の母と電話で話したのだが。
――うーん、相当「忘れっぽく」なっているなあ。

(いやまさか、――そんなことまで憶えていないの?)
(まあ、20年以上前のことではあるけれどさあ……。)
(でも、実の子供である自分の事について、ええーっ、そんなことも忘れちゃうもの?!)
――その場の遣り取りの中での言葉には出しはしなかったが、「母がそれを忘れているということ」が若干、ショックではあった。(笑)

まあ、もっと昔、たとえば私の幼少期の頃の、それも「どーでもいいエピソード」とかは、案外憶えていたりもするんだけれど。
または、母自身の子供の頃のことも、結構憶えているみたいではあるのだけど。

そうだなあ、人が老いるに従って、これは仕方のないこと、と、言い聞かせるしかないんだけど。――これは何も悲しい意味ではなく、「少しずつ少しずつ、この世界から離れていく」もうその過程に入っているのだなあ、と。

でも。
「なんだかんだ言ってもきっと自分以外で一番自分の事を憶えていてくれるのではないか」と期待していた実の親の記憶が、だんだんと「取り出し不可」になっていく、――その「取り出し不可」はこれから(今のところ緩やかではあっても)増えていく一方、というのは、改めて直面してみると、少々ツライものではある。(息子としてはね。笑)
(ありがたいことに、まだまだ全然普通に生活はできていて、そもそも実家には兄もいるし、そこら辺「心配」は当面なさそうなんですけどね!)

自分にとっては大切な記憶を(「自分にとってだけ」だったとしても、)「自分以外この世で誰一人も憶えてくれていない」というのは、やはりちょっとしたさみしさはありますよね。それはそうですよね。

まあ、「忘れる」と「知らない」は別物だという考え方もある。
(――今回の「忘れる」はまだ「知らない」にはなってしまっていないことを、少しだけ祈りつつ。笑)

考えてみれば40代後半の自分だって、忘却の底に落とした記憶は、気づかないままのものも含めれば数知れない。
思い出せない、――たとえば、人や店の名前、スーパー寄ったら買おうと思っていたもの、一度は絶対暗記したはずの英単語や漢字、等々。
でも、何かヒントをもらって思い出しさえすれば、「いや~、やっぱりそれでも知らないなあ」とはまずならないから、それはつまり「忘れているだけ」=「記憶の奥の位置から取り出す力が弱くなっただけ」「記憶の整理保存機能が低くなっただけ」ともいえるわけだ。


「昔話」を忘れていくのは、生物ならば仕方ないではないか。――長い目で見れば、そういう案件はすべてきっと、「お互い様」になるはずである。

今を見るようにしよう、と、思う。
――そう、私の声を聞いても「どちら様でしたっけ??」とならないように、(いずれこの先そうなる可能性だってあるとは覚悟もするけれど)、とにかく、「今の」母とのコミュニケーションを大切にしていこう。


勤務先の命令で、実家にはずーっと帰れていない。
でもその分、母には以前にもまして、頻繁に電話をするようにはしている。

「忘れていく過去」より、「繋がっている今」のほうが、何より私には大事なはずである。