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【余談】でも時には「感情的」になるのも大事なことかもな

他人はもちろん、自分自身でも、
「人を統制する、操縦する」みたいなことについて
いい面もあるのかもしれないが、
そうでない面もあるかな?という
今回はお話しです。


ふと気づく。

「怒り」って、
「最近の」自分の場合、
(つまり昔は少し違ったけど、)
ごく親しい人に対しての方が
湧きやすいものになっているかもしれないな、と。

(今回は、いつにも増して、
至極「個人的な感覚」の話です、終始。)


と、いうのも。

前記事で私は「怒り」について
書いたのだが。
(なので今回は昨日の補足、
というか「蛇足」?笑)

たとえば、
親しい身内などに対しては
ある意味かろうじてまだ
「自然と」「自然な」
怒りの感情が湧くんだけど、
「そうではない対象」には、
(言うなれば「人」のみならず「社会」とかに対しても含め、)
「怒り」については、
怒るとしても
どこか「ワナワナ震える」ような感じとは
いついかなる場合も程遠くなったのである。

つまりいつも「本気では怒っていない」?。
――何だか
「形式的に表面的に怒っている」感じ?
――いや、昔は
「ワナワナ震える」とか
「眠れなくなる」みたいなの、
強くハッキリ怒ると
もっと頻繁にあった気がするんだよなあ。

よくよく考えてみると
そもそも最近、
私は「怒り」の感情について、
「心までは動かしていない」気がするのである。
――怒っていてもどこか、
「怒っている自分」を
離れた所から冷たく見ている
もう一人の自分がいる感じ、
とでも言えばいいのか。

いや、これって、
「冷静」と言えば聞こえはいいんだが。

でも、
それに伴って、つられて、
もしかすると
他の「喜・哀・楽」の感情も
薄く鈍くなっている気がしないでもない?のである。


自分の感情に、
(「自分の」感情なのに、)
「鈍感」になったのだろうか?
――そんなことってある?
とも思うが、
実感としては「鈍感」が
一番当てはまるかも。


自分の「怒り」の感情自体が元々、
「とにかく嫌いなもの」ではあったのだ。
扱いもコントロールも難しいし、
人に向けるのも苦手だし
(自分もスッキリしなくてむしろ気分悪くなる)、
良いこと全くないから。


さするに、ここ10年くらいは、「怒り」について、
「なんとか上手に避けられないだろうか」
「どうにか未然に抑え込めないだろうか」
と、繰り返し「試行錯誤」してきたところはある。

で、その「試行錯誤」は、
今ある程度実を結んでいるのだとは思う。
――が、その分、
もしかすると自分は、
他の感情もつられて
一緒に薄くなっている気が
ふとしたのである。


かといって。

「自分を今よりもっと短気に変えたい」
なんてことはやはりもちろん
思うはずはないのだが。

でも、
「正負の法則」じゃないけど、
一見、
「よくなった」ように見えるどんなことも
どこかに「弊害」というものは
生まれるものだよなあ。

――なんて、ふと気づいたことを
今回は書き留めてみただけでした。

(と、いうわけで、今回結論はありません。笑)