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空くらい見上げたらいいのだ

蒸発して水蒸気になった水が、
空へ還っていくように。

かたちのないものは皆、
空へ還っていくような気もする。


いつでもそこにあるのだから、
時々は、
空くらい見上げたらいいのだと思う。


自分もいつか、
かたちがなくなり
重さもなくなったらなら、
重力も働かないだろうから、
空へと還れるのかもしれない。

あんな美しい場所に
最期は還れるのなら、
なんて幸せなことだろう。
なんて救いのあることだろう。

スマートフォンで
風景写真を撮る機会も増えた。
(note記事用の写真を、という意識も
どこかにあるやもしれぬが。笑)

いい風景なのだが方角として
どうしても逆光になってしまうことが
時々あるが、
構えるスマートフォンの角度を
何とか調整することによって、
写真が暗くならずに写ってくれる場合もあったりする。

で、そんなふうに、
上下に角度をあれこれ変えながら撮った
写真をふと見返すと、
その撮ろうと思っていた被写体風景よりも、
意外と「空の風景」のほうが中心に来て
存在感がますます増してそこにあった、
なんてこともある。

例えばこれなんかもう、どちらかというと「空と雲の写真」ですよね。(笑)

――空。
当たり前な存在になり過ぎているけど、
毎日、
すごいものを見せてもらえているんだよなあ。

でもやはり、
いつでもそこにあるものなのだから。
だから時々は見上げたらいいと思うし。

そして、そんなふうにして、
現実世界の重力からいっとき離れて
自らの心を空に浮かべるような、
それくらいの時間の隙間が、
毎日の中にところどころあったって、
悪くはないはず、ともまた思うのだ。

高い建物が少ない街に
これからも暮らしていきたいかなあ。
(今回の写真はすべて旅先のものですけどね。笑)

見上げた空が狭くなると、
どうしても地上にある、この世界ごと、
狭くなってしまう気すらしてくるからである。

標高が高い地域で撮ると、心なしか、晴れていても雲が低くて近くてその存在感が増す気もする。
――ただの気のせいかもしれないけど。(笑)