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キリスト教

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クリスチャントゥデイの編集長が不定期にnote.comを巡ってこれは良いと思ったキリスト教関係の記事をまとめていったものです。
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#愛

一人分、変わる世界

一人分、変わる世界

私が変われば、一人分、世界は変わる。

誰かが変われば、一人分、世界は変わる。

私が、誰かに対する何らかの偏見を、自分の目から取り外せた時、一人分、世界は変わる。

誰かが、私に対する何らかの偏見を、自分の目から取り外せた時、一人分、世界は変わる。

なぜ人は、偏見を持ってしまうのだろう。
なぜ私は、偏見を持ってしまうのだろう。

偏見を持たれると辛いのに、気づけば自分も誰かに偏見を持っていたり

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放蕩息子のたとえから

放蕩息子のたとえから

イエスのたとえ話シリーズ No.5 放蕩息子

2024年6月30日ルカによる福音書15:11-32

15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を

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キリスト教徒を20年やって思ったこと

キリスト教徒を20年やって思ったこと

イエス・キリストの十字架と復活が自分の罪を贖う犠牲の愛だと信じ受け入れ救われてから、7月1日でちょうど20年になりました。神様の子とされて歩んだ信仰の道のりが守られたことに感謝し、僕の弱さの中に強さを表して下さった神様に栄光をお返しします。

19歳で信仰告白をしたのでクリスチャンとして生きた期間が人生の半分をちょっと超えたわけですが、まだまだなところもたくさんあります。イエス様の生き方を見習って

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人の「器の大きさ」は作り変えられる

人の「器の大きさ」は作り変えられる

器の大きさとはまるで各自に備えられた、先天的なもののように語られがち。気質のように、ある程度それもあるのかもしれない。でも後天的にもかなり、自分次第でも変化可能なものなのだと思う。

器量の大きさは伝染する

わたしが今住んでる南ドイツの地方都市では、いつも驚くほどに住人がご機嫌、親切で寛容。一言で言えば「器量の大きな人々が多い」と感じていて、それはステキな伝染に伝染が重なった結果なのだろうと思う

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信仰と精神疾患の間で苦しむ全ての人のために

信仰と精神疾患の間で苦しむ全ての人のために

●うつになったクリスチャンが考えてみた〜信仰と精神疾患の間で苦しむ全ての人のために〜精神疾患にかかったクリチスャンとやり取りをした
会ったこともなく、名前も知らない人だ

信仰と精神疾患❗️
これは、とても大きな問題だ
そして、信仰への誤解から来ている問題でもあると思う

では、どんな誤解があるのか

①信仰があるのにうつ(精神疾患)になる②信仰を持ったときの喜びがウソのようになくなった。だから、

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イエスの味方になりたい

イエスの味方になりたい

「イエス様の無実を証言すること」サンヘドリンでは弟子であるペテロもヨハネにもできなかった無実証言を、イエスの側にたって、証言した。たった一人の証言者が一緒に十字架にかかっていたこの強盗だった。もてはやしていた群衆も弟子もイエスを裏切った中、イエスのたった一人の味方になった。

弟子たちには失うものがあっただろう。あの場でイエスの味方になり、イエスの無実を証言すれば、命、社会的立場、人間関係、未来、

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「わたしの」救い主イエス・キリスト

「わたしの」救い主イエス・キリスト

「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」という言い回しがある。"Accept Jesus Christ as your personal Savior"の直訳だろう。

"personal"を「個人的な」と訳すと個人主義が連想されネガティブな感じ。

「自分にとっての」がより良い感じ。他人事だった救いが自分事になるのだから。

「イエス・キリストを自分にとっての救い主として受け入れる」

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神様のガイダンスが必要が理由 Why We Need God’s Guidance

神様のガイダンスが必要が理由 Why We Need God’s Guidance

多くの皆さんは、気づいていないかもしれませんが、私たち人間は、とても複雑なシステムが組み込まれた世界(Evil Systems)で生きているため、

もしもあなたが、愛する人やあなたにとって大切な人と、心が安定した幸せな生活をしたいのであれば、あなたには『神様からのガイダンス』が必要です。

私たちが、この世で生きている最中、私たちは、様々なことを決断しなければいけません。

決断については、『選

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命は誰のものなのか

命は誰のものなのか

人の命とは、神様から授かったとか、頂いたとか、管理すべき時間として預かったとか、いろいろ考え方はあるけど、愛するために託されたと考えることもできるかもしれない。自分のものであると同時に神様の委託物でもある。託した神様には意図や願いがある。神を愛し隣人を愛するよう、託したと信じる。

命の使い道は、人生の使い道だし、時間の使い道。イエス・キリストに従うなら、イエスが命を、人生を、時間をどう使ったかに

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クリスチャンとしてどう生きるか

クリスチャンとしてどう生きるか

イエス・キリストを知った。イエスの十字架と復活が自分のための愛だったことを知った。知ったのだから、自分は、知る前の状態にはどうやっても戻ることはできない。自分にとっての救いや信仰は不可逆的なもの。もうそれ以前には戻らない。そうやって示された神の愛から引き離されることは決して無い。

救われる前からも、救われた後からも、同じ罪を犯してしまうことはある。もちろん、悔い改めてもう罪を犯さないよう、神に変

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ぶつかってくる教理警察

ぶつかってくる教理警察

寺に突入してお坊さんに「あなたが信じてる宗教は間違った教えですよ」とは言わないクリスチャンが別のクリスチャンにツイッターで「あなたが信じてる教理は間違った教えですよ」と言えてしまうのは駅でぶつかってくるおじさんと同じ理由で自分がぶつかっても大丈夫そうな相手を選んでるってことなの?

駅でぶつかってくるおじさんは相撲部屋に突入してぶつかり稽古することは決して無い。お相撲さんはおじさんより体格も大きい

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党派性の本質

党派性の本質

キリスト教的信条でも、政治信条でも、僕個人としては、同意不同意と好悪は別だ。

1.同意するし好き
2.同意するけど嫌い
3.同意しないけど好き
4.同意しないし嫌い

この4通りは全部ある。自分は福音派に同意する。しかし過激なまでに筋を通す人は同意するかしないかに関係なく好きだ。

そして、好き嫌いに関係なく、総ての人を愛すべきだと考えているし、愛するのが自分の責任だし、神の御心だと考えているし

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自分の言葉で「愛」について語りたい

自分の言葉で「愛」について語りたい

今日も家族の話を書きたい。
「大切な」という形容詞ではあまりにもありふれている。なくてはならない存在。あまりにも近い存在で、相手の心さえ読めるような気もする。でも時折、自分が知らない一面を見つけてどきっとする。

家族、特に自分のパートナーの幸せを強く願う。夫が願っていることが叶えられて欲しいと思う。夫がより輝く人生を送って欲しいと思う。

夫のことを少し書きたい。夫はキリスト教徒だ。大学生の頃に

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隣人か敵か、それが重要な事なのか

隣人か敵か、それが重要な事なのか

知らない人がいても、隣人なのか敵なのかをやきもきして調べる必要はない。イエス・キリストは隣人を愛しなさいと命じているのと同時に、敵を愛しなさいとも命じている。イエスに従いたければ、相手が隣人でも敵でも愛する。隣人のように見える敵もいれば、敵のように見える隣人もいる。ただ愛したい。

それまで見たことも聞いたこともなかったクリスチャンに初対面で会ったとき、最初に互いの知り合いの名前を出し合うことって

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