信仰によって生きる人
祈りをはじめとして、信仰者にできることというのは、自分で器を満たそうとすることの限界を受け入れ、空っぽの器を借りてきて神から授かるものを受け取る準備をすることのように感じる。空の器を持ってきて何も起きなかったら愚かに見える。だけど神の愛を信頼して満たしてくださるほうに全部賭ける。
祈って何も行動しないのではない。行動するにはするのだが、神側からの介入がなければ全く意味のない行動に走ることだろう。神側の介入を予期しない人からは論理的にあり得ない無謀な選択にも見えるかもしれない