私は、1993.8、NHKスペシャル取材班のゲストとして、ロシアのモスクワ(原子力関係の開発側と規制側の取材)とクルスク(原発、RBMK4基)を訪問、家族へのお土産として、ロシアの民芸品として有名な入れ子構造のマトリョーシカ人形を購入、いまでも、飾ってあり、30年前の思い出。
意識は天動説。 無意識は地動説。 中心は空虚。 無限に広がる。 積み重なる入れ子構造。 ミクロとマクロがリンクする。
言語を司るのは「当人」たちではない。 相互に証得し、呼応し、復唱し合う「場」こそが言語なのだ。 ゆえに規格、文法はあってないようなものだ。 それらは絶対的なものだから、外れることは許されない。 間違いは創発だ。喪失は創発だ。ゴミは創発だ。死は創発だ。 なんといたたまれないことか
祇園先斗町のロシアン・バー。煉瓦塀の小窓を飾るマトリョーシカ。開けても開けても出てくる、入れ子民芸品。さて、入れ子は入れ子でもこの銀ピカ立方体は似て非なる神の業モノ。立方体の中に立方体…の中にまた立方体…と、無垢な立方体4つを孕む5重立方体!しかも旋盤だけで削り込んだシームレス!
自分という藪の中を、 掻き分けて掻き分けて、 漸く外光を目にする。 外の空気を全身に吸い込み、 外界と共に新たな自分に取り組む。 入れ子になった自分を知るには、 埋没と脱出を繰り返し、 外界からの助けに恃む。 外の光の美しさ、澄み切った空気、 程よい湿り気を堪能する至福。
そして、これが、言語化に出入りする暗黙知の構図だ。(一文から一パラグラフへ)