斉藤有吾

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最近の記事

Anselm Kiefer:Opus Magnum について

表参道駅の近くにある Fegus McCaffrey で開催されているアンゼルム・キーファーの展示を観た。 絵画史に対してなのかマーケットに対してなのか何に対してなのかは分からないが、無防備な絵だ、、そして、それをたくさんのシンボルで武装している、、、というのが最初の印象だった。 しかしその時は、散りばめられた数々のシンボルの意味がまったく分からなかった、帰宅して、一から調べ始めた。 この展示には《罌粟と記憶_パウル・ツェランのために (日本語題) 》という作品が設置し

    • 映画『ドライブ・マイ・カー』について

      この映画には、サウンドトラックが総休符になるシーンがある。音が全く聴こえないシーンだ。未だ何度かこの映画を観るだろう、私は、いつかこの音の無くなるシーンに意味を見つけるだろうか。 音:「終わりだ。でもこれで、ようやく止められる、ようやく終わる、前世から続く因果の輪から、抜け出す、彼女は、新しい彼女になる、ドアが、開く、、、」この台詞のシーンを観たタイミングだっただろうか、この映画は平和の為の、戦争について考える為の映画かもしれないと思った。 車の中でテープを聞きながら、目

      • 展示『記憶 リメンブラス』からの脱線的メモの束

        ⬜ 村山悟郎の作品について 「熟練した棋士は、ある戦況を「形」として、二次元的な直感で把握するという。」 「一枚一枚を単一のアルゴリズムで生成するAIとは違い、制作プロセスには創発と段階的なパターンの発展が刻まれ、絵から自然言語へと発達するような道筋が現れている。」 Takuro Someya Contemporary で開催中の村山悟郎の個展『データのバロック』のステートメントにあるこの2つの句は少し離れて配置されており、直接強引に関連付けようとはしていないのがエレガ

        • 展示『私たちのエコロジー』について

          森美術館で開催されている『私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために』という展示を観てきた。 「反人間中心主義」というけれど、この句に統一の定義が存在しているとでも思っているのか? もう21世紀なのだから、人間中心主義とは? 人間とは? という問いから始めたいところだ、と思ったところに、松澤の「人類よ滅亡しよう行こう行こう 反文明委員会」という写真が設置してある。 私たちは人類であり、それ以外ではあり得ない、勿論、動物であるわけがなく、「私」ですらない、人類なのだ、

        Anselm Kiefer:Opus Magnum について

          中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ』について

          中井久夫著『いじめのある世界に生きる君たちへ』は、身近にいじめがあるかないか、いじめがあることを認識しているか否かを抜きに、多くの子供に(大人にも)読んで欲しいと思ってしまった。この本は、中井久夫の『いじめの政治学』を、読書好きの小学校高学年くらいの子供なら読めるように、と編集されたそうだ。 何で、自分が悪いみたいなことになってるんだ、教師は見て見ぬふりしてたくせに、犯罪じゃないのか?学校の中だと犯罪も許されるのか?親を、家族を裏切るようなことをしてしまった、、、わかってて

          中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ』について

          宮森みどり個展『Anna』について

          今回この展示を体験しなかった方は、いずれ再演される時に是非!と思うので、お読みにならない方が良いかもしれない感想文です、悪しからず。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 顔はめパネルの顔枠は、私の顔には少し小さくて、枠からはみ出た私(の顔)、中に入れない、疎外された私(の顔)は、「場違いな」「とらえどころのない」を意味するギリシャ語「atopia」を迂回したのか?そもそも顔はめパネルに顔を入れるのは何だか屈辱的で、例えば、広い展示会場の一角だけ靴を脱いでお入り下さい?とあれば、私の靴下だ

          宮森みどり個展『Anna』について

          『WE - 入口と世界の出口』について

          この演目『WE - 入口と世界の出口』は、昨年の『ふたつのE』の変化系であり、これから始まる「火の鳥プロジェクト」の第一段でもあるとのことだが、『マハーバーラタ』の延長としても体験した気がする。 小池博史氏の『マハーバーラタ』は、ある現況の対立に対して、それとは異なった対立を提案するようなエンディングだった。 例えば、戦争するA国(A国民)とB国(B国民)との対立には、A国民の中の戦争したくない人々とB国民の中の戦争したくない人々をひとまとまりとして、それ以外の人々と分類

          『WE - 入口と世界の出口』について

          ジブリ 宮崎駿『千と千尋の神隠』について

          実写と比べて、アニメであるということのやや現実味の薄められた世界観の中で、親の仕事の都合で転校することになり、すねる千尋、というかなり現実的な状況をぶつけてくるのが始まりか。 新居に向かう車の中で寝ている千尋を起こしたお母さんが「良さそうなところじゃない、あれ、今度の学校よ」と言うが、千尋は学校に向かって舌をべーーと出してシートでふんぞり返っている。 あれ、道を一本間違えたかな?この道から行けそうかな?とお父さん、やめてよ迷子になるんだからと止めるお母さん、行くぞ!この車

          ジブリ 宮崎駿『千と千尋の神隠』について

          Organ Works 2023 「漂幻する駝鳥」についてのメモ

          Organ Works 2023 「漂幻する駝鳥」 作・演出・振付 平原慎太郎 舞台美術 冨安由真 2023年6月3日(土)~11日(日) KATT 神奈川芸術劇場〈中スタジオ〉 ________________________________ 〈A キャスト〉で当該演目を観て、メモを書き始めた。 注:当該演目を未だ観てない方や余韻を味わっている方は、溌剌たる体験の邪魔になるかもしれないので、ここから先はお読みになりませんように。 ==================

          Organ Works 2023 「漂幻する駝鳥」についてのメモ

          章夢奇(ジャン・モンチー)監督作品:映画『自画像:47KM のおとぎ話』(2021)について/斉藤有吾

          新しい家を作るってよ?どんな家が理想?うーん、言葉では説明出来ない。絵に描いてみたら?絵にも描けない。ジャン・モンチー氏が問い、赤服の子が答えた。赤服の子は、五歳くらいだろうか。 ◯◯が新しい家を作るってよ!テレビがあって、宿題が出来て、階段があって、◯◯があって、、、 全部で五回くらい、定期的に赤服の子が両手を広げて大きな声で叫ぶシーンが入る。 否、叫ぶというよりも、鑑賞者の右後ろに抜けるような方角へ向かって大きな声を投げる感じだ。 最初は、言葉に出来ない、絵にも描け

          章夢奇(ジャン・モンチー)監督作品:映画『自画像:47KM のおとぎ話』(2021)について/斉藤有吾

          山城知佳子監督作品:『チンビン・ウェスタン「家族の表象」』について/斉藤有吾

          男女の夫婦と男女の子供二人と四人家族。子供達は、小学校に上がったくらいの年齢だろうか?DV だ、、、しかし物理的暴力のシーンは無い、父親が大きな声を出すが、怒鳴り声ではなく、オペラの発声法で歌うのだ。顔の表情は怖い、怒っている演技なのだが、いい声で歌っている。怖いけどいい声だけど怖いけど歌ってる、と迂回させられたからか、反射的に感ずる怖さは小さい。 「お父さんのお仕事は山を削って海を埋め立てること」と子供が言った、それは禁句だと母親は娘の口を塞ぐように抱き締めて守るような仕

          山城知佳子監督作品:『チンビン・ウェスタン「家族の表象」』について/斉藤有吾

          山城知佳子監督作品:『創造の発端 一 アブダクション/子供一 』について/斉藤有吾

          電話越しに待たされる時の、あの乱暴な計らいへの苛立ち、退屈、終わりの見えない不快感が染み付いて離れない名曲、ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』は、最早、あのラン・ランの才能を以てしても、中々に愛し難い楽曲となってしまったのだろうか? アパートメントの一室、朝だ、ダンサーの川口隆夫氏が鼻歌を歌いながら、焼き上がった食パンにジャムを塗る、小気味良い動きだ。鼻歌は、ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』だ。うっかり頭の中で、川口隆夫氏の鼻歌をなぞって、この名曲を口ずさんでいた

          山城知佳子監督作品:『創造の発端 一 アブダクション/子供一 』について/斉藤有吾

          諏訪敦彦監督作品:映画『風の電話』について/斉藤有吾

          忘れたい、思い出したくない、放っといてくれ、お前なんかにわかってたまるか、他人事か、このまま風化させてしまってはならない、同じような体験をしても受け止め方は各々違うって、頭ではわかってるのに、私よりも、アナタよりも酷い被害に遭った方々がいる、私なんかが、アナタが傷付いて落ち込んでいる場合ではない、この線から向こうには助けがあり、この線からこちらは自力で頑張りなさい、、、否、誰だって、傷ついていいよ。傷つくのにライセンスなんて要らない、だって、もう傷ついてるだろ?他人と比べなく

          諏訪敦彦監督作品:映画『風の電話』について/斉藤有吾

          展示『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』について/斉藤有吾

          未だ当該展示をご覧になられていない方は、この感想文をお読みにならない方が良いかもしれません。せっかくの溌剌たる鑑賞体験を邪魔するノイズに満ち溢れているかもしれません、ご注意下さい。 _________________________________ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ _________________________________ ⬛ 高川和也 煙草を持った右手と、薬指に指輪をはめた左手、高川氏自身の手が映るシーンから始まる。続いては、FUNI 氏が高川氏に語

          展示『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』について/斉藤有吾