是断の形は雲の色

未断κ是断 20230621入滅 『みー〜存在からメディアへ〜』 文章は、人体が読物で…

是断の形は雲の色

未断κ是断 20230621入滅 『みー〜存在からメディアへ〜』 文章は、人体が読物である場合にのみ、書物。 生物は、尊ばれる限り、神聖さ自体。 人生は時間の最小単位。 ホワイトにもブラックにも無関心。 肌色だけでいい。みーたん。笑いもの。松

マガジン

  • 『宗身の芸操』(SSS)

  • 世界のこと

    私から見た世界の様相。記事が増えてきたので立派な論考ものだけまとめました

  • 【後太陽記】万華鏡(ほしぞら)

    明るいところだと、綺麗な夜空は見えないよ。

  • 私(わだかまり)

    私の経験を綴ったもの。過去に重点を置いた論考。

  • 【1進数論】(下から読むのがおすすめ)

    我々は無記なる1桁の或る「数」である。さしあたり、光より速いものを見つけなくては、我々にもう未来はない。光が届く範囲はもう来た。「如来」を超えていくために、「光」を超えた「未来の種」を。時空宇宙を超える生存軸をその心に。

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  • 固定された記事

完全独立自律的因果:自業自得の理論さえ、摂理の前では粗悪品

どうでもいいことだけど、また書かずにはいられなかった。 途中にあるリンクはそれぞれに関する過去の記事に繋がっています。 彼は言った「嫌なことがあったんだ」 私は聞いた「なにがあったの?」 彼は言った「嫌だと思ってしまったんだ。だから、嫌なことがあった」 私は言った「君、それはどうしても必要なことだったんだよ」 彼は応えた「その通りだ。正直、何も嫌ではなかった。でもあれは確かに嫌がるべき事態だったのに、心の隅に喜ぶ自分がいたんだ。それがたまらなく嫌だった。」 私は言った「そん

    • 並列連節経時物は感情する。われ。 私、の語義は不定形。 生命に原型なし。 物象という意識の中では物質は物質できない。アレロパシー。 神が奇跡を起こすのではなく、完全な神と未熟な精神の差異が奇跡と呼ばれるのだ。 これは自然と人事の差異が災害と呼ばれるのと同じである。

      • 胎児は幽霊であり、乳児はヴァンパイアであり、妊婦は集中治療室である。 赤子が生まれていない今、 世界はまだ生まれていない。 世界は生まれ続ける必要がある。 亡びることは問題ではなく、何が生まれるかが問題なのだ。 人の子が生まれなければ、代わりに電子機器や家畜の子が生まれるから。

        • どんなに対立しても、命で命は消せない。 むしろ、対立すればするほど命は燃え広がる。 争えば岩石が砕けて溶けて再結晶化して海洋と土壌になって生物になる。 生物は高貴な存在などではない。 地球型生物は劣悪で矮小な銀河系の縮図に過ぎない。 天体運動としての生活に、神事以外見当たらない。

        • 固定された記事

        完全独立自律的因果:自業自得の理論さえ、摂理の前では粗悪品

        • 並列連節経時物は感情する。われ。 私、の語義は不定形。 生命に原型なし。 物象という意識の中では物質は物質できない。アレロパシー。 神が奇跡を起こすのではなく、完全な神と未熟な精神の差異が奇跡と呼ばれるのだ。 これは自然と人事の差異が災害と呼ばれるのと同じである。

        • 胎児は幽霊であり、乳児はヴァンパイアであり、妊婦は集中治療室である。 赤子が生まれていない今、 世界はまだ生まれていない。 世界は生まれ続ける必要がある。 亡びることは問題ではなく、何が生まれるかが問題なのだ。 人の子が生まれなければ、代わりに電子機器や家畜の子が生まれるから。

        • どんなに対立しても、命で命は消せない。 むしろ、対立すればするほど命は燃え広がる。 争えば岩石が砕けて溶けて再結晶化して海洋と土壌になって生物になる。 生物は高貴な存在などではない。 地球型生物は劣悪で矮小な銀河系の縮図に過ぎない。 天体運動としての生活に、神事以外見当たらない。

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        • 『宗身の芸操』(SSS)
          2本
        • 世界のこと
          194本
        • 【後太陽記】万華鏡(ほしぞら)
          228本
        • 私(わだかまり)
          94本
        • 【1進数論】(下から読むのがおすすめ)
          85本
        • ”真”シリーズ
          105本

        記事

          「山籠り」はありえない。 なぜなら、山のほうが都市より広いからだ。 「市井の民のほうこそが、人民世間に籠もってお互いを人質にとった超計画的愉快犯だ」と言うような山籠りの人がいるなら、それは厭世主義に籠もっているだけだ。 そのような山籠りは山に失礼だろう。 誰も自分からはこもれない

          「山籠り」はありえない。 なぜなら、山のほうが都市より広いからだ。 「市井の民のほうこそが、人民世間に籠もってお互いを人質にとった超計画的愉快犯だ」と言うような山籠りの人がいるなら、それは厭世主義に籠もっているだけだ。 そのような山籠りは山に失礼だろう。 誰も自分からはこもれない

          四六時中、ただ神事のみ。

          四六時中、ただ神事のみ。

          【神の怒りを買う】「善良な人の死なんてひどい事、神の怒りでもないと説明できない。」 死に対して、空想的に拒絶的な反応を示してしてきた人類だからこそ、生にしがみついてこんなに繁栄できたのだと思った。(人類の生きる意志こそが他の生物にとって「神の怒り」的であるというメタファーなのか)

          【神の怒りを買う】「善良な人の死なんてひどい事、神の怒りでもないと説明できない。」 死に対して、空想的に拒絶的な反応を示してしてきた人類だからこそ、生にしがみついてこんなに繁栄できたのだと思った。(人類の生きる意志こそが他の生物にとって「神の怒り」的であるというメタファーなのか)

          耳にできたタコ的な存在。 死んだら何も残らないだけでなく、 いくら生きてても何も残りなどしないのだ。 いかに残ってないことに気づけるか。 数値化することはできる。 それを増減させることで変化を間接的に可視化することもできる。 情報は印象操作のためのレコードにすぎない。記憶もまた。

          耳にできたタコ的な存在。 死んだら何も残らないだけでなく、 いくら生きてても何も残りなどしないのだ。 いかに残ってないことに気づけるか。 数値化することはできる。 それを増減させることで変化を間接的に可視化することもできる。 情報は印象操作のためのレコードにすぎない。記憶もまた。

          「誰でもいいんだと思ってた」 違うけど、違くない。確かに、君じゃなきゃいけない理由はなかった、でも、そこにいたのは他でもない君(私達)だった。 それに、またこうして交わしているコレは、量産可能な商業的コンテンツではない、再現性のない極めて偶有的事象に過ぎないけれど、きっと愛だろ。

          「誰でもいいんだと思ってた」 違うけど、違くない。確かに、君じゃなきゃいけない理由はなかった、でも、そこにいたのは他でもない君(私達)だった。 それに、またこうして交わしているコレは、量産可能な商業的コンテンツではない、再現性のない極めて偶有的事象に過ぎないけれど、きっと愛だろ。

          じつは学校生活は総合格闘技だった。 さらに社会生活は地下格闘技だった。 これからは、 「は」「とは」を使わない哲学というものをやってみたい。 できれば「もの」「こと」という打算的括りの語句も使いたくない。 「ない」という表現も避けたい。 学問的でおざなりな否定の語句だから。

          じつは学校生活は総合格闘技だった。 さらに社会生活は地下格闘技だった。 これからは、 「は」「とは」を使わない哲学というものをやってみたい。 できれば「もの」「こと」という打算的括りの語句も使いたくない。 「ない」という表現も避けたい。 学問的でおざなりな否定の語句だから。

          主観と客観の違いは、重量と質量の違いに似ている。 神は人間による同情や憐憫、共感の対象にならない。 法則はそれ自体としては存在しない統計的偶像である。 抽象的なことも広く固定化されれば言葉として受肉する。 自己とは幽霊であり、自我とは妖怪であり、自身とは気の迷いである。と、神が。

          主観と客観の違いは、重量と質量の違いに似ている。 神は人間による同情や憐憫、共感の対象にならない。 法則はそれ自体としては存在しない統計的偶像である。 抽象的なことも広く固定化されれば言葉として受肉する。 自己とは幽霊であり、自我とは妖怪であり、自身とは気の迷いである。と、神が。

          つまり、真理は「誰の手にも負えない」から、適宜切り売りされ、その都度、マージン(利ざや)がうまれ、それが真理の価値を青天井に上げているわけだ。 あるいは、この、包摂(部分を手にした者を部分として取り込む構造)こそが真理の特徴なのだろう。 メタ認知というが、認知はそもそもメタ的だ。

          つまり、真理は「誰の手にも負えない」から、適宜切り売りされ、その都度、マージン(利ざや)がうまれ、それが真理の価値を青天井に上げているわけだ。 あるいは、この、包摂(部分を手にした者を部分として取り込む構造)こそが真理の特徴なのだろう。 メタ認知というが、認知はそもそもメタ的だ。

          自己組織化とは、あらゆる系統に属するモノらが、自ら評価し合い、その系列を統制する事象のこと。 効率化・省エネ化・堕落・社会性とはこのことだ。 たとえば、「鬼ごっこ」「じゃんけん大会」「政治」「産業」「地位競争」 要するに、経済とは自己疎外・脱人化・アメリカ中心主義のことである。

          自己組織化とは、あらゆる系統に属するモノらが、自ら評価し合い、その系列を統制する事象のこと。 効率化・省エネ化・堕落・社会性とはこのことだ。 たとえば、「鬼ごっこ」「じゃんけん大会」「政治」「産業」「地位競争」 要するに、経済とは自己疎外・脱人化・アメリカ中心主義のことである。

          そのとき考えてもわからないことが、考えてない間に整理されてわからない部分が洗い出されることが多い 起きている間の問題が、寝ている間に整理されて問題でなくなることも多い 問題とは・理解できなくて不満なこと・制御できなくて不安なこと、あるいは、無駄に「いますぐに解決しよう」とすること

          そのとき考えてもわからないことが、考えてない間に整理されてわからない部分が洗い出されることが多い 起きている間の問題が、寝ている間に整理されて問題でなくなることも多い 問題とは・理解できなくて不満なこと・制御できなくて不安なこと、あるいは、無駄に「いますぐに解決しよう」とすること

          受容体なきホルモン、、 バートルビー

          受容体なきホルモン、、 バートルビー

          「幸せになる」ために必要なこと、それは大層な尊い自己犠牲ではなく、小さな欺瞞と自己暗示だ。自身の心を手放すということだ。安いもんだろう? 心とは自尊心であり、利己心のことだから。自分にとってのみ価値が高く、自分にとってのみ都合が良いもの、それが心だ。 ほら、きみも幸せになりなよ。

          「幸せになる」ために必要なこと、それは大層な尊い自己犠牲ではなく、小さな欺瞞と自己暗示だ。自身の心を手放すということだ。安いもんだろう? 心とは自尊心であり、利己心のことだから。自分にとってのみ価値が高く、自分にとってのみ都合が良いもの、それが心だ。 ほら、きみも幸せになりなよ。