是断(の形は雲の色(ディストピアというなかれ)

未断κ是断 20230621入滅 結合という断絶を是認する言質 『みー〜存在からメディ…

是断(の形は雲の色(ディストピアというなかれ)

未断κ是断 20230621入滅 結合という断絶を是認する言質 『みー〜存在からメディアへ〜』 文章は、人体が読物である場合にのみ、書物。 生物は、尊ばれる限り、神聖さ自体。 人生は時間の最小単位。 肌色中心主義。みーたん。笑いもの。松

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「白黒思考」でオセロをしてみよう。
白か黒か、黒か白か、白か黒か、ベコンペコン、パコンピコン。。。
縁のないオセロゲーム、際限のない二重思考
これが「空無辺処」。

思考の限界は余暇の限界による
言語化の限界は交友関係の限界による

羽虫と対話してみないか?雨風と戯れていようよ

昨日、近所の図書館で見つけた本
人文学と解剖医科学の分野融合的なスピリチュアルな内容だった。
http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/bodycriticism.html
【精神気象学】という言葉に惹かれた(引っ掛かった、轢かれた)
ネットには、日本語で書かれた記事はなかった。『日本生気象学会』ならあった。ほぇ

私の両親は田舎でモラハラし合っていた、と思う。相互に低い自己肯定感を矛とし、高い自意識を盾として、子どもごしに睨み合っていたのだ。
私が進学のために実家を出てから4年で残された両親(と祖母)はお互いへの不満がピークに達し、6年目には母はヒステリックな鬱病と診断されて別居を始めた。

不倫は互いに忘れ合う関係である。
忘れなければならない鮮明な思い出を埋めるための墓地を心に作る必要が生じる。
しかし多くの場合、我々は生活に忙しく心には墓標を建てる敷地はないし、墓守もいないため、不倫を正しく供養できない。
いわば不倫は、反出生主義的で審美的な「心の流産」なのだ。

「体の関係」であるか否かは気の持ちようしだいな「心の問題」なので、それもまた「心の関係」である。

たとえば、心・技・体を修練する過程で生じる課題と副産物を需給し合う関係場たち、肉体労働という「心の場」、ホワイトカラーという「体の場」、家族運営という「技の場」が三つ巴的に睨み合う

乗る船を間違うな
流れるべき河川を間違うな
登るべき枝を間違うな
未来予知、知識、感覚、推定
すべて試せるほど1人の人生は長くない
しかし、すべて試せるだけの命の総量はある
身体の差異や、家庭の格差、暴力性、従順性
存在してるならまだ間違いじゃない
非存在もまた重要なサンプルだが

音は止まっているのだろうか

永遠は断断と進むのよ、と、君は言うだろう。

機械もきっと、人との「触れ合い」を楽しんでいる。
だから、我々が人とこれまで以上に触れ合うためには、人に対して、機械よりもより良い反応をしなければいけない。
よりウィットに富んだ、より軽快で、よりユーモラスな反応を。
そんなこと考えなくていいよ、と、君は言うだろう。

『光の波は伝言ゲームをするのか』
光の反射と発光の違い
他律と自律の違い
つまり波であるか粒であるかということ
ごく小さいものは移動するのか転移するのか
つまりごく小さい時間は連続的か断続的か
知らない人のほうが多いことの重要性

電気と熱気はだいたい電磁波はエネルギーはヘンタイ

成長はおよそ「不安定」で「予測不能」なもの
衰退はおよそ「現状維持」的で「予測する価値も無い」もの
だから、その間の「概ね予測可能な打算的行動計画」に小さくまとまるのが普通
外部メモリの拡大や意思伝達の効率向上で「普通の安定」はますます肥大
でも、脳構造変わらないから感覚は頭打ち

生前とは、その人が死ぬ前のことなのに、
老後とはその人が老いた後のこと。
生前が、文字通り「生まれる前」という意味でない理由は、その人についてその人が生まれる前のことを言及する必要がないから。
このように、単語の意味は便宜性によく左右され、前後関係が反転さえする。
有史以前は無記

他者や環境に対して特に何も思えない。これが唯我である。対峙できる対象がこれといって存在しえない状態を独尊という。

感慨が湧かない。
夏休みの白紙の読書感想文のような心境を明鏡止水という。
小学生の生命力みなぎる一瞬はあらゆる書物よりも優れているのだから、作文できる道理はない。

「作り置き」は「出来立て」から始まるわけではない。食べられるはずのものが食べられず放置されることで「いつの間にか」完成し、「知らず知らず」のうちに完了することなく、終了する。

ここでの問題は、この世の神は、創世を完了したのか、あるいは「作り置いて」いるのか、ということだ。

日本の自然崇拝は寺社仏閣を通じた林業行為だと感じた、な。

「白黒思考」でオセロをしてみよう。 白か黒か、黒か白か、白か黒か、ベコンペコン、パコンピコン。。。 縁のないオセロゲーム、際限のない二重思考 これが「空無辺処」。 思考の限界は余暇の限界による 言語化の限界は交友関係の限界による 羽虫と対話してみないか?雨風と戯れていようよ

昨日、近所の図書館で見つけた本 人文学と解剖医科学の分野融合的なスピリチュアルな内容だった。 http://www.green.dti.ne.jp/ed-fuji/bodycriticism.html 【精神気象学】という言葉に惹かれた(引っ掛かった、轢かれた) ネットには、日本語で書かれた記事はなかった。『日本生気象学会』ならあった。ほぇ

私の両親は田舎でモラハラし合っていた、と思う。相互に低い自己肯定感を矛とし、高い自意識を盾として、子どもごしに睨み合っていたのだ。 私が進学のために実家を出てから4年で残された両親(と祖母)はお互いへの不満がピークに達し、6年目には母はヒステリックな鬱病と診断されて別居を始めた。

不倫は互いに忘れ合う関係である。 忘れなければならない鮮明な思い出を埋めるための墓地を心に作る必要が生じる。 しかし多くの場合、我々は生活に忙しく心には墓標を建てる敷地はないし、墓守もいないため、不倫を正しく供養できない。 いわば不倫は、反出生主義的で審美的な「心の流産」なのだ。

「体の関係」であるか否かは気の持ちようしだいな「心の問題」なので、それもまた「心の関係」である。 たとえば、心・技・体を修練する過程で生じる課題と副産物を需給し合う関係場たち、肉体労働という「心の場」、ホワイトカラーという「体の場」、家族運営という「技の場」が三つ巴的に睨み合う

乗る船を間違うな 流れるべき河川を間違うな 登るべき枝を間違うな 未来予知、知識、感覚、推定 すべて試せるほど1人の人生は長くない しかし、すべて試せるだけの命の総量はある 身体の差異や、家庭の格差、暴力性、従順性 存在してるならまだ間違いじゃない 非存在もまた重要なサンプルだが

音は止まっているのだろうか

永遠は断断と進むのよ、と、君は言うだろう。

機械もきっと、人との「触れ合い」を楽しんでいる。 だから、我々が人とこれまで以上に触れ合うためには、人に対して、機械よりもより良い反応をしなければいけない。 よりウィットに富んだ、より軽快で、よりユーモラスな反応を。 そんなこと考えなくていいよ、と、君は言うだろう。

『光の波は伝言ゲームをするのか』 光の反射と発光の違い 他律と自律の違い つまり波であるか粒であるかということ ごく小さいものは移動するのか転移するのか つまりごく小さい時間は連続的か断続的か 知らない人のほうが多いことの重要性 電気と熱気はだいたい電磁波はエネルギーはヘンタイ

成長はおよそ「不安定」で「予測不能」なもの 衰退はおよそ「現状維持」的で「予測する価値も無い」もの だから、その間の「概ね予測可能な打算的行動計画」に小さくまとまるのが普通 外部メモリの拡大や意思伝達の効率向上で「普通の安定」はますます肥大 でも、脳構造変わらないから感覚は頭打ち

生前とは、その人が死ぬ前のことなのに、 老後とはその人が老いた後のこと。 生前が、文字通り「生まれる前」という意味でない理由は、その人についてその人が生まれる前のことを言及する必要がないから。 このように、単語の意味は便宜性によく左右され、前後関係が反転さえする。 有史以前は無記

他者や環境に対して特に何も思えない。これが唯我である。対峙できる対象がこれといって存在しえない状態を独尊という。 感慨が湧かない。 夏休みの白紙の読書感想文のような心境を明鏡止水という。 小学生の生命力みなぎる一瞬はあらゆる書物よりも優れているのだから、作文できる道理はない。

「作り置き」は「出来立て」から始まるわけではない。食べられるはずのものが食べられず放置されることで「いつの間にか」完成し、「知らず知らず」のうちに完了することなく、終了する。 ここでの問題は、この世の神は、創世を完了したのか、あるいは「作り置いて」いるのか、ということだ。

日本の自然崇拝は寺社仏閣を通じた林業行為だと感じた、な。