プールが出てくる作品

今回は、プールが登場する作品を挙げていきます。

プールは、非常に独特な空間です。

それは人工的な泉であり、自然の泉よりも閉鎖的です。

多くの場合、外部からの視線が遮断された秘密の場所とも言えます。

それでも、みんな基本的に水着姿であるという意味では開放的で、それゆえ視線が交錯する妖しげな場所でもあるわけです。

 

岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』で、プールが実に印象的な場面で登場します。

やはり、密やかな妖しさも見受けられますね。

フランソワ・オゾンの『スイミング・プール』は、もっと露骨に扇情的です。

どちらの作品も、'現実'と'虚構'が入り交じっています。

プールという閉鎖空間での開放性が、人間の脳内(閉鎖空間)における想像力(開放性)を暗示しているのかもしれません。

 

庄野潤三の小説「プールサイド小景」では、冒頭とラストでプールが登場します。

主人公は失業者です。

失業は、社会との接点を失う点では閉鎖的ですが、肩書きという衣装を纏っていない点では開放的です。

やはり、ここでも閉鎖の中の開放が見て取れます。

あと、冒頭で無意味に女子たちが出てくるあたりが、ほんのりと妖しげです。

 

写真家のアンドレ・ケルテスの作品に、'Underwater Swimmer'というのがあります。

おそらくプールの中で、潜水する男性。

妖しげと言えば、少し妖しげです。

安井仲治の作品にも、よく似た一枚があったと思います。

潜水は、水中に浸かっていて、外の音も遮断されているので閉鎖的ですが、外からは丸見えなので開放的です。

それがプールで行われれば、閉鎖と開放の二重性の中に、さらに閉鎖と開放の二重性が存在するという入れ子構造が実現します。

写真もまた、限られた画角で外界をとらえる点では閉鎖的ですが、一瞬の光景を不特定多数に提示する点では開放的です。

プールでの潜水の写真は、かなりのマトリョーシカということになりますね!

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