中学校の国語科の授業 文学編① 動画「『少年の日の思い出』をどう教えるか」

マガジン「小学校の国語の授業 理論編」及び「小学校の国語科の授業 物語編」を読んでからこのマガジンを読んでください。 このマガジンの理解がないと「中学校の国語の授業で文学を教えることの意義」や「その方法論」は全くわからないものとなります。時間はかかるでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします。

中学校の国語科教材『少年の日の思い出』は、当然のこととして義務教育の国語科教材であり、それは小学校の国語科教材と系統的・発展的に指導されるべきものとなります。
このマガジンでは、その系統性・発展性を構造面(指導事項「場面」)から考えていくこととします。動画で示したように、構造指導は小学校1年生『大きなかぶ』からはじまり、光村図書の教科書で言えば5年『わらぐつの中の神様』が小学校では最も複雑なものを教えることになります。

特に、『少年の日の思い出』は『わらぐつの中の神様』から発展的に関連させていくことになります。具体的には、枠物語(額縁構造・入れ子構造)の理解を生かして「不完全枠物語(欠けた額縁構造)」について想像させていくことになります。
文学における額縁構造は美術とは絶対的に異なります。中の絵(内部物語)にももちろん価値はありますが、額縁(外側物語)に大きな価値があるということです。

今までの『少年の日の思い出』は額縁の中の絵に価値を置いて指導してきたのではないでしょうか。そのような指導であれば「一度起こしてしまった過ちは取り返しがつかないこと」を読み取ることが大切なことになります。そうなれば、生徒たちは「これからは何か行うことは慎重に考えて行動しよう」などという思いを持つことでしょう(心情の育成は国語科の目標ではありませんが)。
しかし、生徒たちは小学校で額縁構造は学んでいるのですから、一読後に「おかしい。額縁の『おわり』の場面がない」と気付くはずです。こういう気付きを生かすことが義務教育としての系統性・発展性なのではないでしょうか。
この気付きを生かせば、額縁の「はじめ」は「闇・暗い」ということから「おわり」は「明」になることが想像できます。そうなれば、客は「少年の日の思い出」を話したことにより明るく変容したということになります。

ここで生徒たちは大いに疑問を持つことでしょう。「なぜ『一度起こしてしまった過ちは取り返しがつかないこと』に気付かせた苦い思い出を話すことによって明るく変容したのだろうか」という疑問です。
ここでは各自の想像を基にした「主体的・対話的で深い学び」が大切になってくるでしょう。私の実践では、生徒たちは「その苦い思い出を生かして一人前の大人になれたから」「確かに『一度起こしてしまった過ちは取り返しがつかない』けれど、大切なのはその後でありその過ちを生かすこと」「今はこの世の終わりと思うつらいことも、大人になると思い出として語れるものになる」などという考えを発表していました。

いかがでしょうか。過ちをおかしがちな、小さなことでも大きく考え込んで行き詰ってしまいがちな中学生にとってどちらを想像させていくことが教育的でしょうか。教科書教材は、このように生徒の心情の発達段階にも即したものになっているのです。

パスワード
bungaku1

連絡事項などありましたら以下のアドレスのご連絡ください。

tnrqw158@gmail.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?