家族でも関係がちかくてもわかりあえないことがあって当たり前。たとえ遠くにいても、わかりあえるのはお互いに人だから。 わかりあえないことを嘆くよりわかりあえた瞬間を大切にしたい。 そしてわかりあえず譲れない部分にこそ、私が磨くべき何かがある。そこを見つめるのが私を生きるということ。
君と僕は正反対 きっと寂しい想いをさせている 僕は本音を話さない 心を許した人でないと 話さない 今迄誰もいないんだ 警戒心が強いんだ 誰も心に入られたくない時もある 君もナイーブだったね たくさん傷つけてごめんね 僕もとても繊細なんだ 傷付け合うのはごめんだ わかり合いたいね
「わかりあう」がよくわからない。 そもそも自分のこともよくしらない。相手のことも私というフィルター越しでしかみられない。それは本当のあなたではないんでしょう?
理解し合えるって、とても嬉しい。 でも、分かり合えないこともある。 それは当たり前の事。 だって、人の数だけ世界があるのだから。 それを忘れてしまう時、相手を尊重することが出来なくなる。そこが別れ道。 無理に合わせるのか、違いを認めるのか。 どちらに幸せが広がるのかは明白です。