Lucy

この海をただ泳ぐ。ぎゅんぎゅんする気持ちのありか。

Lucy

この海をただ泳ぐ。ぎゅんぎゅんする気持ちのありか。

マガジン

  • 私の心です。

  • me

  • ことば

    私のすきな言葉をここに。

  • 共鳴

  • 静かな雨の日に読む本のように

    私の心のもう少し奥、けれど誰かと共鳴する言葉を。

最近の記事

  • 固定された記事

余白を愛していきていく

木に咲く花を撮る習慣がある。土から生える可愛らしい花も愛おしいけれど、木は命そのものっぽいから好きなのだと思う。良い写真が撮れるわけでもないけれど、ときめくとすぐにiPhoneのカメラを起動してしまう。 陽の光を浴びて歩くとき、ぬるい向かい風に包まれる時、駅近くの階段を登るとき、私は日々を慈しんでいることを実感する。 先日「忙しそうな人をやっている」ということを書いたが、それもこれも、余白を愛しているからできるのだと今更気がつく。何かに夢中になれるからこそ取り巻く環境のやさ

    • 夏がきてくれてよかった

      いやはやどうやら真夏がきている。暑い、とにかく暑すぎる。昨年の今頃は引っ越しを終えて自分の家に慣れた辺り、「今回の家は涼しいぞ」と気がつき、かなり遅くまでクーラーの出番がなかった。確かに風通しのいい家には違いないのだけれど、なんだか昨年と様子が違う。記憶の斜め上をいくのが湿度の面倒くささなのか。 アイスコーヒーの消費スピードに買い物が追いついていない。荷物が増えると帰路がさらに億劫になる、けれど茶色いペットボトルを持ち帰らなければ明日の私が渇いてしまう。諦めたり腹を括ったり

      • 半空腹の夜、ひとりごと

        ふいに、SNSのアーカイブを覗きに行った。あえて綺麗な部分しか出していない時もあっただろうけれど、私はなんだか前向きに頑張っていたようだ。耐え難いほどの苦しみにも希望があったし、日々のなかにきらきらをなんとか見つけ出していて、私、だいぶ若々しい爽やかさを消費したのだと思った。 良かれ悪かれ人は変化していくものだ。あらゆる刺激を受けながら、現状維持する方が難しい。習得できたもの、まるくなったもの、進化の実感はそれなりにあるけれど、ちゃんと失ってもいる。足したり引いたりして相殺

        • 暗い青の中で、ぶくぶくと

          また心がしんどくなってしまっている!なんて波の多い人生だろう。励まし励まされを自ら繰り返し、その間何度も涙して、ぎりぎり船の舵をとっている。湿気た空気が胸を重くするのだろうか。今日は夏至の夜だというのに。 ついに気がついてしまった。いずれは楽になると信じて頑張っていた仕事が、私の肌にはどこまでも馴染まないことを。自分の意向だけでやることを決めていたら世界は広がらないと思い、新しい業務を迎え入れた。はじめてのことだからしんどいのだと思っていたけれど、私はどうやら一向に前向きに

        • 固定された記事

        余白を愛していきていく

        マガジン

        • 109本
        • me
          15本
        • ことば
          24本
        • 共鳴
          0本
        • 静かな雨の日に読む本のように
          2本

        記事

          晴れ、どしゃぶりの合間

          ついに夏の兆しが見えた。冬より夏が好きで待ち遠しいくらいだったのだけれど、いざ迎えてみると身体がどろどろと溶けそうな暑さが記憶に蘇って少々身構える。それでも今日を照らす爽やかな明るさは何にも代え難い。 GW前からの不調を持ち直してはぶりかえして、なんとなく落ち着かない5月を過ごした。そうしてようやく悩むことに疲れた、飽きた。気持ちの良い日々を取り戻したくなり、勢いをつけて自分を励ましている。お気に入りの本を読み返したり、映画を観たり、お菓子を焼いたりした。少し先にたくさん楽

          晴れ、どしゃぶりの合間

          私には明るい青が似合うのだから

          苦手な季節ばかりで笑えるのだけれど、春は始まりと終わりが同時に訪れるので普段よりしんどい。私ののびしろを信じた上司から、新しい業務へ参画するようにと告げられた。今まで触れてこなかった分野への挑戦は正直恐ろしく、また自身の未熟さが露呈する機会になってしまうのではと今もまだ怯えている。 連休の最中、ふと思い出しては気持ちが翳った。業務の全貌が未だ掴めておらず、どんなふうに力を発揮したらいいのかわからない。発揮できるものなんて持っていないんじゃないか。あぁいやだ、今年も五月病だ。

          私には明るい青が似合うのだから

          息する手段は枝分かれをして

          しばらく会えずにいた友だちを訪ねた。歩けるようになったちいさな娘は彼女によく似てとてもとても可愛らしかった。時間を空けても当たり前に笑って過ごせる関係性が心底ありがたい。私の生活の中に、彼女がまた現れてくれたことが嬉しい日曜だった。 少しの間、なかなかnoteを書けずにいた。手書きの日記も昔に比べて飛ばし飛ばしになった。文字に心を乗せていく作業はずっと必要不可欠だったし、私にとっては生きることの一部とも言える。それなのに書く作業から離れていたのはたぶん、「離れられるようにな

          息する手段は枝分かれをして

          代わりようのない人生、あなただけのもの

          久しぶりに、女の子たちとの日々について綴る。 相変わらず何人かの女の子たちと交流を続けていて、そのなかでしみじみ人生の多様さに思いを馳せている。大人の身勝手さによる皺寄せを受けて、子どもらしくあれぬまま育った子が多い。背負いすぎて生きてきた分、赤ん坊のように縋って甘えてくる子もいれば、妙にドライに身の上を振り返る子もいる。当然、全員、違う。 「親のせいでこうなった」という言葉に頷く。そこに嘘はないし、本当にそうだと思う。ただ、生き抜くために選んできた術が、彼女たちのスキル

          代わりようのない人生、あなただけのもの

          ひかれ、私が紡ぐもの

          命削ってつくったものを全身全霊でぶつけられる人を心から尊敬する。表現したいと思うのであれば躊躇ってはいけないね、遠慮心は良さを欠いてしまう。 先日、いつか生ものとして触れたいと思っていたアーティストのライブに行った。偽りも手抜きもない血の通った舞台だった。強烈に浴びてしまった、もうなあなあに日々を送れない。 芸術にまつわるサバイバル番組を好んで見るのだけれど、スーパーモデルを目指す参加者たちに「なぜカメラの前で没入できないんだ」とカメラマンが叱責するシーンがあった。あれこ

          ひかれ、私が紡ぐもの

          ともすれば生まれなおし

          いま思えば、私はかなり早い段階で自分を諦めていたのだと思う。「私自身」が持ち得ているものはとても少なく、何かを身につけることで武装しようとして懸命に走っていた気がする。勘違いされることも多い人生だった、妙に目立ってしまうから。好きなことを楽しみたいだけだったけれど、「得をする側の人間」として扱われる機会も度々あった。本当はいつもなんだか物悲しく、なんだか寂しく、切なかったけれど、そういう部分を拾ってくれる人は実際少なかった。 見せてこなかった自覚もある。他人のせいにしたけれ

          ともすれば生まれなおし

          私が「私」を選ぶ時間

          今年は新しく始めようと決めた事がいくつかあり、新年早々から手を出している。規模の大きなものではなく、あくまで「自己満の幸せ」につながる諸々だ。手を動かす趣味、美容習慣、身体づくり。ちょっとしたことだけれど、今までは触らずにきた範囲のそれら。胸がわくわくするから、きっと正解だったと思う。というか、私が正解にした。 好きなことを好きなようにするというのが私の人生の本分。だからやるというに過ぎないのだけれど、人より少しばかり持っている肩書きが多いもので、こなさねばならないタスクが

          私が「私」を選ぶ時間

          願いをだきしめて

          昨年、これからの1年間で叶えたいことを100こ手帳に書いた。大小さまざまな願い事で、買いたいものを並べてみたり、私という人間への変化の期待があったり、なんともまあ自由なリストになった。 年を終えていくタイミングで結果を確認したが、半分に完了のチェックマークが入っていた。「歯医者に行く」はできなかったけれど、「言いづらいことも素直に伝える」はハードルの割によくクリアできたと思う。人からすれば甘い水準かもしれないが、私にとってはチャレンジだったのだからそれで良いとしている。

          願いをだきしめて

          愛について 2023

          どうやら私は、手当てをされた。 誰かを1対1で愛する、ということをずっと怖がってきた。ほんとうにほんとうに、私はずっと怖くてたまらなかった。私のことを好きだと言ってくれる人の気持ちもよくわからなかったし、一体なにを以て「好き」だなんて明るく言えるのだと心底思っていた。 「好き」を貰ったって困る。わからないんだもの。わからないから、相手を傷つけてしまう。持て余してしまうくせに、愛されたいと小さく願う自分もいた。心の中で捏ねたり伸ばしたりをした結果、「真正面に向き合って結ぶよ

          愛について 2023

          ひとつもこぼさず覚えていたい

          記憶を失くしていく映画に、これまでどれほどたくさん出会っただろう。博士の愛した数式、エターナルサンシャイン、君に読む物語、頭の中の消しゴムなど、有名どころでもこれほどに。 本当は脳の奥底に埋まっているとしても、思い出せないというのは存在自体失ったように感じる。「忘れてしまう」という響きすら寂しい。でも仕方のないことだと割り切ってきた。老化もあるし脳の容量もある。過去よりもいまがいちばん新しい人生なのだから、思い出のキャパシティはそこそこになってしまうのだ。愛する人を忘れてい

          ひとつもこぼさず覚えていたい

          「好きな人をもっと愛したっていいのよ、心地よいと感じる人のことをうんと愛していいの」と言ってもらったことがある。心のお守りにしている、誰かを愛するということを心底怖がっている私だったから。やさしいやさしい言葉だと思う。おかげでいまは、愛することができる。

          「好きな人をもっと愛したっていいのよ、心地よいと感じる人のことをうんと愛していいの」と言ってもらったことがある。心のお守りにしている、誰かを愛するということを心底怖がっている私だったから。やさしいやさしい言葉だと思う。おかげでいまは、愛することができる。

          こころがほどけて気づくのは

          こころがほどける、という感覚。 私はきっと、弱くやわらかい人間に変容していっている。 弱く、ということは昔なら明らかに負の意味で使っていたと思う。自身に向けて「強くあろう」と何度も言い聞かせていたから。本当はそうではない自分、わかりながらも奮い立たせるのが日々だった。 私だけをみてくれる人がいる安心を知ってしまった。おかげで不安も増した。ひとりで処理できていたことができなくなった、特に感情において。 正直いって、生まれてこのかたずっと寂しかったのだけれど、そういうものを消

          こころがほどけて気づくのは