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私が「私」を選ぶ時間

今年は新しく始めようと決めた事がいくつかあり、新年早々から手を出している。規模の大きなものではなく、あくまで「自己満の幸せ」につながる諸々だ。手を動かす趣味、美容習慣、身体づくり。ちょっとしたことだけれど、今までは触らずにきた範囲のそれら。胸がわくわくするから、きっと正解だったと思う。というか、私が正解にした。

好きなことを好きなようにするというのが私の人生の本分。だからやるというに過ぎないのだけれど、人より少しばかり持っている肩書きが多いもので、こなさねばならないタスクがすぐ両手に積み上がってしまう。これだって自分でやると決めてやっているのに違いないが、負荷バランスの均等をはかることが下手なのだ。

「あれもこれも頑張りすぎて倒れる」可能性はもうない。自分のキャパシティがわからないほど若くはない。抱える分量が多い原因は、ノーというのが苦手、がっかりされるのが苦手。だから引き受けてしまうくせに、心が進まない中で作業的に手を動かすことも苦手なのだ。面倒くさがりのわりに、"やらない" "やれない" 姿勢をひどく嫌っている。

無責任な自分を責める一方で、「ストイックな自分」以外を認めない自罰的な自身を可哀想に思ってもいる。もっと楽に息をしたらいいのに。誰かのことなんて考えないで、私は私を癒せばいいのに。やむを得ない理由なんていらない、休みたい時に休みたいだけ休む自分を許してあげたい。きゅうきゅうと鳩尾を締め上げる癖、いったいいつからついたのだろう?

それで、始めたのだ。未経験の分野を趣味にすることで、過集中してしまう状況をつくった。夢中になってときめいているうちは、追いかけてくる宿題を忘れることができる。自分の「楽しい」を優先する習慣をつけて、ひとりで抱える分量を減らし始められるといい。コントロール力をつけること、自分の時間を蔑ろにしないこと。これが今の私にとって大切な選択。(ノーは徐々に言えるようになりたい)

端から端まで使いたいように使った日曜も終わる。胸を満たすための、ゆたかさの引き出しが一段増えたと感じる夜。

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