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いい顔してるはず、実は

パートナーが撮ってくれる私の写真、ほんとうにいい顔ばかりしている。カメラを向けられることがあまり得意でなかったのに、彼が写す私自身のことは正直言ってどれも好きだ。しあわせだとわかる表情そのものをしている。

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仕事への不安に苛まれた日々が嘘みたいだとつぶやいたとき、「君にないのは自信だよ」と彼から言われた。経験やスキルや実力ではなく、自信。任された何かを全うすることに対して、無根拠ながら自分にはできないとすぐに思ってしまう。だからその分析は正しい。逃げ場をなくして、仕方がない私がやるしかない、と腹が据われば、最後は思ったよりすんなりとなんとかなってきたことの方が多い。自分を信じることが結果を生むのだともうわかっているのに、それができないのは心の癖だろうか。

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指先で、穏やかに笑う私を何枚もスライドする。こんなにも満たされた表情をしている時があるのだ、そしてそれを切り取ってくれる人がいるのだ。そのことにふいに安心する。私はちゃんと、大丈夫。いい顔して過ごしてる、自分で思ってるよりちゃんと。

くらしの中にあるものはどれだって大切なはずなのに、やたら歪に大きく焦点が当たるものがある。仕事だったり、誰かとの関係性だったり、瑣末な痛みだったり。見つめすぎてしまうのにはなにか理由があるけれど、無理に意味を生み出すのは不必要だ。勝手に心が向いてしまうのは仕方のないこと。でも同じものばかり視野に入れておくのがいいとも限らない。それより大事なのは、私が私であることだと思う。先を行く人たちがつくった正解を目指さなくていい、"私の色"が出ることを恐れなくっていい。

あと一ヶ月、この酷暑をあと一か月凌いだら、すこしだけ涼しくて悠々とした地域へふたり旅にでる。束の間の癒しの時間、全力のしあわせな私たちをカメラに大事に収めるつもりだ。


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