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愛について 2023

どうやら私は、手当てをされた。

誰かを1対1で愛する、ということをずっと怖がってきた。ほんとうにほんとうに、私はずっと怖くてたまらなかった。私のことを好きだと言ってくれる人の気持ちもよくわからなかったし、一体なにを以て「好き」だなんて明るく言えるのだと心底思っていた。

「好き」を貰ったって困る。わからないんだもの。わからないから、相手を傷つけてしまう。持て余してしまうくせに、愛されたいと小さく願う自分もいた。心の中で捏ねたり伸ばしたりをした結果、「真正面に向き合って結ぶような愛」に期待をせず生きようとある時から腹を決めていた。切ないくせに迷いはなかった、捻れた心と性質とが妙に上手く噛み合って。

なのに、世界がひっくり返ってしまった。

想像をはるかに超えていくやさしさをくれる人と同じ時間を過ごしている。こんなにも柔らかく包んでもらえる日が来るなんて、一度も信じられたことがなかった。きっと私、手当てをされたのだと思う。傷んで荒んで縮んだところへ、温かい手が添えられた。自分ではどうすることもできなかったじゅくじゅくを撫でるようにして治してくれた、きっと無自覚に。ロマンスに酔った感性でものを言っているつもりはない。この人でなければ今はなかったと、その確信がなによりも私にやさしい。

日々、「私に返せるものはなんだろう」と自分に問うている。この嬉しさをあたたかさを、何をもって還元すればいいだろう。どうしたら喜んでくれるだろう。胸がときめく悩み事。どうか来年もその先も、同じことで頭をいっぱいにできますようにと小さく祈る。

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報われたような気持ちを今年はたくさん味わったので、私なりの「愛への感謝」を綴った。けれどそのうえで、一筋縄ではいかなかったこれまでの自身を振り返っては胸が締めつけられている。どれほど苦しかったか、孤独だったか。そういうことを今はやり過ごすように、無視するように振る舞う瞬間もある。けれど決して忘れない、自分という人間を組み立てていく中で何度もぶつかった「愛」の在り方。抱えてきたぐちゃぐちゃを、言葉に換える力がまだ私にはない。次の年にはきっと、できるだけ鮮度を保ったままで文字に起こし、放出したい。

私に課す宿題、テーマ。
愛を背負って、日々を超えたい。

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