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会話

私はあまり言葉を発さない。

別に思うことがない訳でも意見がない訳でもない。
むしろ言いたいことや考えは内側にしっかり持っている。(つもりだ)

ただそれを言うか言わないか、と言えば言わないだけ。
必要があれば言うけれど、ほぼほぼ必要な場面なんてない。

若いころは普通に話していたけれど、だんだんと、友達や仲間と話しをしていると、自然と聞き役に回ることが多くなってきた。

今では完全に聞き役だ。


一緒に住んでいる両親との会話も、多分よその家のそれと比べれば少ない方だろう。

母とはともかく、父との会話は、、1か月に2、3回。
父から話しかけられた時に答えるくらい。


我が家の食卓は、私と母が真向いに座って、父が私の隣に座るのが定位置。
一緒にご飯を食べることも稀なのだけれど、座ってもお互いの顔は見えない。

今朝は、朝食時に父が私に話しかけてきた。
(先日私が同僚にもらったお土産、茨城県の「明太高菜」について)
「これは、茨城県にあるのか」

ここで私が答える前に、母が割って入ってきた。
「そうだって、こないだ教えたじゃない。
〇〇の同僚が茨城県に行って、そこのお土産だって説明したじゃない💢」
自分が話したのに、忘れていると思って=自分の話を聞いてくれてなかったと思ってイラっとしたみたい。(^^;)

母は丁度食べ終わって、シンクへ自分の食器を持って行き、洗い出した。
そんな母に、父はボソッと
「なんか、俺は話しちゃいけんのか💢」

私は、今までの経験から、この話を父が知っているか知らないか、本当に知りたいのか、そんなことは関係なく、ただ会話の糸口だったことを知っているので、「常陸那珂にも港があって、うちの会社の同僚がそこに出張に行って、その帰りに”明太子パーク”に寄って、お土産買ってきてくれた」と答えた。

「高菜は九州のもんやろ?」
(え?明太子の方じゃなく?)と思ったものの、
「うん、今は九州だけじゃなくて、茨城県でも作ってるみたい」
と、明太子についてともとれるような答えをしておいた。

これで父の溜飲は下がったようだ。


時々、父との会話の少なさについて考えることがある。
わざと話さないようにしている訳ではないけれど、話すことがないし、同じ家の中にいても、同じ部屋にはいないので、そもそも会うことがない。

好きか嫌いかと言われれば、以前は大っ嫌いだったのが、この1年程でどうでも良いと思えるまでになった。

もし、もしも父が〇んでしまったとしたら、こんなに話さないことに後悔するのだろうか?と良く考えるのだけれど、今は私はそう思ってない。

父の方はもっと話しておけば良かったと思うのだろうか。。。




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