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感情は大事だけどわからないことが多いのだから。

 今、人は思考よりも感情が強くなっている。
 感情は先走る。そして行動となる。そこに思考は薄い。だから世の中には、衝動的な言動がたくさんはびこってしまう。

 残念なことに、感情とは他人に説明できない論理のことである。一方で思考とは説明できる論理だ。どうしてその感情になるかわからないけど、そうなる。一方で、これこれこういう理由で、この思考に行き着いた。そう説明できる。
 これは、感情と思考の大きな違いの1つであり、それぞれの最大の特徴である。他人に説明できないからこそ、感情はまどろっこしいことをせずに行動を起こせる。他人に説明できるからこそ、思考はわかってもらいやすい。

 だから、わかってもらうのなら本当は思考なのだ。思考を遠ざけてしまうと、私達はどんどん孤独になってしまう。むしろ、自分自身の「なぞそうなのか」を他人に説明できるように考える時間がなければ、わかちあうことは到底難しい。感情という直接的な心の動きをぶつけ合うことがコミュニケーションになってはならない。その定義では人と人は何も結ばれず、わからないところが多くなってしまう。
 そうではなく、1度落ち着いて思考することが肝要なのだ。そうして積み上げられた論理は他人に聞いてもらいやすくなる。結果として理解が進む。互いの考え方の違いがよくわかる。そういうもののはずだ。

 今、我々は思考よりも感情が優先だ。このスピーディーな時代の中で確かにまどろっこしいことのない感情は便利である。面倒くさくもない。
 でもそれは得られるものが少ない近道なのである。手っ取り早くそれなりの結果が欲しい時の手順でしかない。感情は結局、他人にわからないところが大きいものなのだ。それよりも思考。思考をもって、誰かに説明し、わかちあえないところをはっきりさせ、その差を埋めていくこと。それが忙しい時代にこそ求められる、本当のコミュニケーションというものである。
 衝動的ではなく、説明的な論理を求む。

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