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感情は使うものであって、使われるものではない
苦しいこと、悲しいことに心が押しつぶされる
楽しいこと、嬉しいことに心がはしゃぎかえる
人間は感情によって気分が浮き沈み、心身の状態に影響を与え、
行動が変容するきっかけになる
仏教が苦からの解放を主題としたように
とりわけネガティブなことに人間は感度が高くできている
これは生き延びるための術として生命が生み出した仕組みだ
しかし、猛獣の襲来に気をもまなくて良くなった現代において
この人間のネ
NOTEをはじめて1か月後のビフォーアフター
NOTEをはじめてちょうど1か月がたつ。
2週間前のビフォーアフターを読んで、その頃のことを思い出し、比較しながら、今の状況を書いておきたい。
1 【2週間前】予想よりはるかにビューしてくださる
【今】ビューの数が格段に少なくなった
ビューの数が極端に多い記事と少ない記事があって、個人的なランキングとビューの数はほぼ相関関係がない。たぶんビューは、記事内容如何の前に、まず何かのきっか
死を自ら問えば、生き方がくっきりしてくる
子どもの頃は、死に対する意識がいつも頭の中にあった。
道路を渡っているとき、車が突っ込んできてはねられるかもしれない。
家にいるとき、地震がおきて屋根がつぶれるかもしれない。
ただ、それは怖いというよりも、意識せざるを得ないという感覚で
生きているという事実の反対として、仮想現実が過剰に意識されたと
表現するのが、感覚として近い。
とにかく、子どもの頃は感覚だけは日常生活から飛び出していた。
定番のライフスタイルからはみ出す時間の大切さ
何もしなければ水は高いところから低いところに流れる。
流れ続けると水の道ができ、その道だけに水が流れるようになる。
水によってどんどん土が削られ、ますます彫りが深くなる。
人間のライフスタイルも毎日同じような生活をしていれば、それがはたから見てどんなに変でも、本人は違和感を感じることはなく過ぎていく。
そこから脱却する一つの道は、
まだ実現せぬライフスタイルをありありとイメージして、
それが実現
「毎日NOTE」で身についた?最後の最後に踏みとどまる我慢
今日でNOTEをはじめてから20日連続投稿となる。
毎日、日付が変わるギリギリで何とか投稿にこぎつける。
夏休みの宿題を8/31に着手していた頃とあまり変わらない。
でもそういうキャラクターだと受け入れること、
その上でどう自身に対策できるかを斜め上から自分を見て考える
そんな心の持ちようが大事だと改めて思う。
連続投稿したって中身が伴わなければ意味がないという考えもある
ただ、そうしてせっぱつ