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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑤ 水泳大会ルール違反事件
小学5年になった少年Eは、新たに入ることになったクラブ活動に、体育クラブと飼育部を選び、授業の体育の延長のような活動や、小鳥やニワトリ、ウサギのエサやりや小屋の掃除を、交代で担当した。違うクラスの生徒との交流で、やがて好きな女の子が出来たが、その話は別の機会に詳しくお話する。
最上級生(6年)になると、小学校代表として色々なスポーツ大会が始まり、春はポートボール大会があった。ポートボールは、
アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編④ ガソリンスタンド倉庫侵入事件
少年Eの幼年期は、まさに巨人・大鵬・玉子焼きの時代であったことは既に記したが、それはテレビの黎明期でもあった。野球、相撲、プロレスは大人気だったが、子供たちにとっては、月光仮面や赤胴鈴之助をよく真似て遊んだ。時代に関係ない遊びとしては、天理教の境内の森(30~50m四方あったろうか)で、よくかくれんぼや缶蹴りをしていた(大小さまざま木々があって、隠れるのに都合がよかった)。
小学生になって
アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編①「フランダースの犬」号泣事件
少年Eは、昭和30年代はじめ、S県F市の駅前商店街で生を受けた。父は、近隣の農家の五男、母は農家の第三子にして長女、二人は東京での出会いを経て、戦後結婚し、長女(姉)の誕生から6年置いて、やっと待ちに待った長男の誕生であった。
その頃は田舎町でも、傷痍軍人がそこかしこに居て、包帯、白衣、松葉杖をついて金の無心をしていた。戦後はまだがん然と残っていたが、街は活気に満ちていたように思う。長嶋、王
アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑲最終話 みんな夢の中
さて、フィリピン編の最終話は、今までのネタバレも含めて・・・
フィリピン在任中、自分はひとりのフィリピン人女性と知り合った。会社が雇ったドライバーの妻の妹であった。一度、そのドライバーを飲みに連れて行ったところ、彼が休みの日に自宅に誘ってくれ、そこで知り合ったのだった。「今度、食事に行こう」ということになり、彼女の友達も一緒に、日本食やイタリアンを何度かご馳走した。しかしその後、我々がマニラか
アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑰ マニラ湾の夕日
さて、今回は今まで出てこなかった、その他総集編のマニラに関するお話。
(1)マニラ首都圏
マニラと周辺16市をまとめて、メトロマニラとかマニラ首都圏と呼ばれる。ショッピングモールや繁華街中心のマカティとか、官庁街のケソン(フィリピン電力や弊社の事務所もあった)とか、分かれている。因みに、2019年の統計による世界の都市圏の人口で4位(約25百万人)になっている(1位は東京‐横浜で人口3850