見出し画像

アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編④ ガソリンスタンド倉庫侵入事件

  少年Eの幼年期は、まさに巨人・大鵬・玉子焼きの時代であったことは既に記したが、それはテレビの黎明期でもあった。野球、相撲、プロレスは大人気だったが、子供たちにとっては、月光仮面や赤胴鈴之助をよく真似て遊んだ。時代に関係ない遊びとしては、天理教の境内の森(30~50m四方あったろうか)で、よくかくれんぼや缶蹴りをしていた(大小さまざま木々があって、隠れるのに都合がよかった)。

 小学生になってからは、パンコゥ(めんこ〈面子〉、パッチン)とその地域で呼ばれる、ボール紙の名刺より小さくたて長で、武者絵やヒーローが印刷され、駄菓子屋やおもちゃ屋で売られていたもので、勝ち負けを競うゲームを随分一生懸命していた。買って数を増やすのではなく、あくまで勝負に勝って相手のパンコを分捕る。そのため、道具、すなわち、パンコを強くするために、「油パン」と呼ぶ、機械油に浸し、乾かして重くし、尚且つ、幅の小さい攻撃面を厚くするため、コンクリート等にコスっていた。技(ワザ)としては、1つは大きく振りかぶって横から地面に叩きつけ、風圧で相手のパンコをひっくり返すワザと、もう1つは「ヌッキー」といって、人差し指と親指で挟んで、攻撃面を相手のパンコの側面にぶつけて飛ばして枠から出すワザがあった。風圧でひっくり返そうとすると、ときどき「手ッサー」といって手の人差し指から小指の先を地面にコスってしまい、痛い思いをよくしたので、「ヌッキー」の技を磨いて多用し、相手の「油パン」を分捕るのが喜びであった。手が油で汚れようが、少年にとってはどうでもよかった。

 また、今思うとどうしてあんなことが流行ったのか不思議なのだが、灯油缶(今と違ってブリキの18ℓ缶)のブリキのフタを、正面から押して凹ませ、片手で握ると、「パッコーン」といい音がするので、このフタを集めて音を出し合うのが流行った。小学3~4年くらいだったと思うが、あのフタを集めようとするあまり、友だちと一緒に、近所のガソリンスタンドの倉庫に夕方忍び入り、ドキドキしたが、何個かカスめて(盗んで)成功した。しかし、喜びはなかった(と思う)。つくづく今思うと、何であんなことをして喜んでいたのか!?フシギだ!

 「イタズラ」ということでは、これも小学校3~4年のころの、「国鉄特急列車急停止事件」がある。登下校は、学校の正門を通るのだが、ときどき、裏門から出て道草をしながら帰ることもあった。裏の坂を下って行くと、国鉄の踏切があり、遮断機はなかった。警報が時々鳴るだけだったが、事故はなかった。ある日、友だちと一緒に、遠くにかすかに見える電車を見つけ、線路に片耳をあて、列車の音を聞いた、キーンといういい音だった。バカではないので、列車が近づく前に、起き上がって離れたが、なんと、その列車は急停止し、運転士や乗客が窓から顔を出し、騒いでいた。確か、怒られたような気もするが、30m以上離れた2階のような運転席から怒られても何ということもなかった。その後何事もなかったかのように、列車は動き出し、少年Eと友だちも普段通り帰宅した。もちろん、翌日、学校でも何のおとがめもなかった。

そういうのどかな、いい時代だった。

今回の一首
青春はみづきの下をかよふ風 あるいは遠い線路のかがやき
                       高野 公彦

パンコ(めんこ、パッチン)
パンコの遊び方
めんこの参考資料
昔の金属製灯油缶フタ(実際はもっと厚かったと思う)
フタの開け方(音が鳴る)
昔は出来たけど、今は危険だから止めましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?