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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑨最終話 夢であいましょう

 少年Eの高校2年は、少女Jとの失恋で始まり、まさに天中殺のような1年であった。5月にバイク(原付)の一旦停止無視で、1回目の停学(1週間自宅謹慎)、8月にはバスのキセル乗車で2回目の停学、2学期の物理のテストで初めての追試、冬にはバイクの2人乗りで3回目の停学となったが、温情の高校で首の皮1枚で退学を免れ、以降は無事に、そして高校も卒業できた。  その後も、諦めの悪い少年Eは、何度か(大抵は、飲んで酔った勢いで)、少女Jに電話した。手紙も書いた。その都度、少女Jは最後まで

    • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑧「文化祭空中ホバリング」事件

       少年Eは、いわゆる女好きである。小6の時、回りの同級生から、「女スキ太郎」と呼ばれたほどだった。しかし、単なる片思いであり、男の友達の中で話題になるだけで、その子に告白など全然しなかった。  初恋は、保育園の同級生、少女Mであった。家が近所で、一緒に通った、少女Y1も、ホッペにチュとしている写真が残っているくらいで、好きな方であった。小学校1~2年では少女K、3~4は少女Y2、そして、5~6年時は飼育部で一緒になった、少女Jが登場する。隣のクラスだったが、余りにみんなの知

      • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑦ 「真夏の渇き」事件

        (1)真夏の渇き    少年Eは、中学生になった。クラブ活動は、担任のY先生が個人競技よりチームゲームを大いに勧めたので、最初はバレーボール部に入り、それなりに頑張ったが、もともと走るのが速かった少年Eは、陸上部の練習を横目で見ながら、煮え切らない思いを抱えて、Y先生に相談し、大いに迷ったが、結局陸上部に移った。  しかし、スポーツの種類や活躍の程度をここで問題にしたくない。最も強く言いたいのは、おそらくは戦前から、それ以後も何十年の間続いた「運動中は、水を飲むな!」という

        • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑥ 料亭「女抱かせろーッ!」事件

           少年Eは田舎町の駅前商店街で生まれ育った。駅から北に100mほど行くと川が東西に流れており、川まで大きく西通りと東通りが通っていて、少年Eの家は西通りにあった。西通りの東側と東通りの西側の商店街の裏はどぶ板通りで人がぎりぎりすれ違えるくらい狭く暗い路地だった。  今でもはっきり店々の正面の光景やその中のオジサン・オバサン・子どもの顔まで少年Eの目に浮かぶ。西通りは駅前から順に銀行、洋品店、本屋、床屋、自転車預かり、卵屋、電気屋、中華そばや、自転車預かり、貸本屋(大変よく利

        アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑨最終話 夢であいましょう

        • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑧「文化祭空中ホバリング」事件

        • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑦ 「真夏の渇き」事件

        • アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑥ 料亭「女抱かせろーッ!」事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑤ 水泳大会ルール違反事件

           小学5年になった少年Eは、新たに入ることになったクラブ活動に、体育クラブと飼育部を選び、授業の体育の延長のような活動や、小鳥やニワトリ、ウサギのエサやりや小屋の掃除を、交代で担当した。違うクラスの生徒との交流で、やがて好きな女の子が出来たが、その話は別の機会に詳しくお話する。  最上級生(6年)になると、小学校代表として色々なスポーツ大会が始まり、春はポートボール大会があった。ポートボールは、バスケットボールのリング(ネット)の代わりに、ゴール係がボールを取ることが得点と

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑤ 水泳大会ルール違反事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編④ ガソリンスタンド倉庫侵入事件

           少年Eの幼年期は、まさに巨人・大鵬・玉子焼きの時代であったことは既に記したが、それはテレビの黎明期でもあった。野球、相撲、プロレスは大人気だったが、子供たちにとっては、月光仮面や赤胴鈴之助をよく真似て遊んだ。時代に関係ない遊びとしては、天理教の境内の森(30~50m四方あったろうか)で、よくかくれんぼや缶蹴りをしていた(大小さまざま木々があって、隠れるのに都合がよかった)。  小学生になってからは、パンコゥ(めんこ〈面子〉、パッチン)とその地域で呼ばれる、ボール紙の名刺

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編④ ガソリンスタンド倉庫侵入事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編③ さよなら軽便 蛍の光事件

           少年Eの住む町には、軽便(鉄道)と呼ばれる路面電車が走っていた。駅前から北行きと南行きの2路線だった。少年Eが小さい頃は、よく親に連れられ、父や母の在所(実家)に遊びに行った。  特に母の実家とその周辺には、同じくらいの子どもが大勢いて、また祖父母や伯父母、叔父母、従兄弟姉妹も居て、農家で家も広く、夏休み、冬休み、春休みには、1週間~1か月くらい泊まって遊んだ。特に夏休みは、近くの川で泳ぎ、スイカやトウモロコシを食べたり、時々はおじいちゃ(祖父)が川で獲れたウナギをさばい

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編③ さよなら軽便 蛍の光事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編② ひのきしん日射病事件

           少年Eの住む町は田舎町であったが、天理教の教会と呼ばれる、大きなお寺のような、立派な建物と、境内にはちょっとした森のような庭があり、子供たちの遊び場だった。少年Eの通っていた保育園(幼稚園)も天理教の附属だった。そんな訳で信者も多く、熱心な信者は朝夕、教会の畳敷の神殿でおつとめに通っていた。  少年Eの家は、熱心な信者ではなかったが、商売にも利すると考えて、月1回20時頃、教会の先生が来ておつとめ(の指導)をしてくれていた。それは神道の儀式と手だけの歌と踊りを組み合わせた

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編② ひのきしん日射病事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編①「フランダースの犬」号泣事件

           少年Eは、昭和30年代はじめ、S県F市の駅前商店街で生を受けた。父は、近隣の農家の五男、母は農家の第三子にして長女、二人は東京での出会いを経て、戦後結婚し、長女(姉)の誕生から6年置いて、やっと待ちに待った長男の誕生であった。  その頃は田舎町でも、傷痍軍人がそこかしこに居て、包帯、白衣、松葉杖をついて金の無心をしていた。戦後はまだがん然と残っていたが、街は活気に満ちていたように思う。長嶋、王の巨人入団が昭和33,34年、大鵬の新入幕と大関昇進が昭和35年、巨人・大鵬・玉

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編①「フランダースの犬」号泣事件

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑲最終話 みんな夢の中

          さて、フィリピン編の最終話は、今までのネタバレも含めて・・・  フィリピン在任中、自分はひとりのフィリピン人女性と知り合った。会社が雇ったドライバーの妻の妹であった。一度、そのドライバーを飲みに連れて行ったところ、彼が休みの日に自宅に誘ってくれ、そこで知り合ったのだった。「今度、食事に行こう」ということになり、彼女の友達も一緒に、日本食やイタリアンを何度かご馳走した。しかしその後、我々がマニラからサイトのある村に引っ越したので、次第に疎遠になって行った。 あとで聞いた話で

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑲最終話 みんな夢の中

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑱ さよならパーティ

          今回は、駐在の最終盤、マニラと現地でのThank-you パーティ、謝恩会と小さなプレゼントのお話。 1.さよならパーティ in Manila   自分を含め3名はオーナーから延長要請があったが、所長を含む3名は、12月初めの帰任が決まったので、さよならパーティは11月中に行われた。しかし、フィリピンのオーナーに、そんな気を利かしてくれる人たちがいる訳でも、また予算もないから、費用はこっち持ちで、中華レストラン2階の宴会場を借りてパーティをした。オーナーが用意してくれたの

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑱ さよならパーティ

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑰ マニラ湾の夕日

          さて、今回は今まで出てこなかった、その他総集編のマニラに関するお話。 (1)マニラ首都圏   マニラと周辺16市をまとめて、メトロマニラとかマニラ首都圏と呼ばれる。ショッピングモールや繁華街中心のマカティとか、官庁街のケソン(フィリピン電力や弊社の事務所もあった)とか、分かれている。因みに、2019年の統計による世界の都市圏の人口で4位(約25百万人)になっている(1位は東京‐横浜で人口3850万、以下2位ジャカルタ34百万、3位インドデリー28百万、7位上海22百万)。人

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑰ マニラ湾の夕日

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑯ アカルイオカマ

          さて、今回はこれまで語って来なかった、フィリピンの田舎の風景その他の総集編です。 (1)米作文化   東・東南アジアに共通する我々の文化であり、生活の中心である。米作りや米を食べるのを見ると、我々は安心できるし、共通するものを感じる事が出来る。   熱帯だから、3期作くらいできるのか、と思ったけれど、せいぜい雨期作と乾期作の2期作らしい。それでも、乾季に、出来た米を、道路にムシロかゴザのようなものを敷いて干す風景もなかなか良いものである。中には、世界遺産に登録されている棚

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑯ アカルイオカマ

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑮愛があれば年齢(トシ)の差なんて

          さて、今回はフィリピンの愛すべき仲間、メイド・ドライバー・ガードたちのお話。 フィリピンは人件費がものすごく安いことと、物騒なこと等から、メイドやドライバー、ガードマンを雇うことが多い。 我々はマニラでも、マニラから北に250kmの工事現場サイトでも、大きな家を借り上げたり、建てた家を寮にして住んでいた(マニラの寮の私の部屋は、自分んちの1階の総面積より広かった)。 マニラに本拠がある時は、寮にメイド3人+小間使いの若い男1人、時々行く現場サイト寮には、その時メイド

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑮愛があれば年齢(トシ)の差なんて

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑭ 断末魔の叫び

          今回は、フィリピンの料理とそれにまつわる悲しいお話。 結論から申し上げると、フィリピンに美味い料理はなかった。 3食とも米飯が基本で、米の飯に合う様々な料理が作られる。 暑い国の料理は辛い、が多いが、それほど辛くもない。 豚肉を炒めた「アドボ」とか、カレーに似た「カレカレ」などが一般的である。どれもそれなりに食べられるが、積極的に注文する気になれない。 そんな中で代表的なものが 「シニガンスープ」である。タマリンドという香辛料が.入っており、ブルブルっと寒気がするくら

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑭ 断末魔の叫び

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑬ サリサリ、ハロハロ、パロパロ

          今回は、タガログ語とフィリピンと日本の類似点についてのお話。 昭和62~63年沖縄に居た時、「環太平洋言語帯」についての講義を、文化センターかなんかで聞いたことがある。この太平洋を取り巻く、広い国々の言葉は、子音に母音がくっ付いている、というものであった。 元々、アジアの人がシベリア⇒アラスカ⇒北中米⇒南米へと、長年月をかけて大移動したのだから、ある意味当然ではあるが、国の名前をとってもそうなっている例が多い(Indonesia、China、Korea、Hawaii、P

          アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 フィリピン編⑬ サリサリ、ハロハロ、パロパロ