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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編② ひのきしん日射病事件

 少年Eの住む町は田舎町であったが、天理教の教会と呼ばれる、大きなお寺のような、立派な建物と、境内にはちょっとした森のような庭があり、子供たちの遊び場だった。少年Eの通っていた保育園(幼稚園)も天理教の附属だった。そんな訳で信者も多く、熱心な信者は朝夕、教会の畳敷の神殿でおつとめに通っていた。

 少年Eの家は、熱心な信者ではなかったが、商売にも利すると考えて、月1回20時頃、教会の先生が来ておつとめ(の指導)をしてくれていた。それは神道の儀式と手だけの歌と踊りを組み合わせたようなものであった。神道の儀式の中にも、神様をお迎えする「降神の儀」があるが、天理教でも神を迎える儀式があり、「おおおーーーーーっ!」と神道よりずっと大きく長い、あそれおおい雄たけびのような声を出し、これが時々、少年Eと6歳違いの姉のツボにハマって、笑い転げるのを必死にこらえるのを何度も演じた。大人たちは、神妙に儀式を続けなければならなかったので、子供らを怒る暇もなかったが、子供らは顔を真っ赤にして七転八倒状態であった。

 天理教には、「おぢば帰り」といって奈良県天理市の本部にお参りに行く風習があり、子供も数年に1回行っていた。少年Eも保育園の時と小学校低学年の夏休みにそれぞれ行った。天理に着くと、皆「おかえり」と迎えてくれた。1週間くらいの日程の中に、「ひのきしん」という奉仕作業があり、真夏の暑い中、言われるがままにモッコを担いで土運びや石拾い等を、ほぼ麦茶しかもらえない中で丸一日していた。現在の夏に比べればせいぜい30℃くらいであったろうが、少年Eは1~2日目くらいで日射病(今の熱中症)に罹り、高い熱が出て、大広間にひとり寝込んでいた。天理教付属幼稚園の若いきれいな先生が付き添いで来ていて看病してくれたが、熱は一向に下がらず、明日は帰るという前の晩に、女の先生は、沢山布団を掛け、汗をかかせて熱を下げるという荒療治に出た。少年Eはびっしょり汗をかいて、狙いどおり熱が下がった。少年は言われるまま、フルチンになって着替え、ぐっすり眠って、元気を回復して、無事うちに帰る事が出来た。少年Eがその若いきれいな先生に恋したのは言うまでもなかったが、既に小学校に通っていたため、幼稚園の先生に再開することも出来ず、生涯何度目かの恋もあっけない幕切れであった。

 その後、少年Eの住む駅前商店街の再開発等もあって、家が引越ししたことあり、次第に天理教から縁遠くなって行ったが、あの夏の酸っぱい思い出は、いつまでも少年Eの胸に残っている。

最後に今週の一首(今回からまた載せます。)
夏木立ひかりちらしてかがやける 青葉の中にわが青葉あり
                        荻原裕幸

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