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アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑧「文化祭空中ホバリング」事件

 少年Eは、いわゆる女好きである。小6の時、回りの同級生から、「女スキ太郎」と呼ばれたほどだった。しかし、単なる片思いであり、男の友達の中で話題になるだけで、その子に告白など全然しなかった。

 初恋は、保育園の同級生、少女Mであった。家が近所で、一緒に通った、少女Y1も、ホッペにチュとしている写真が残っているくらいで、好きな方であった。小学校1~2年では少女K、3~4は少女Y2、そして、5~6年時は飼育部で一緒になった、少女Jが登場する。隣のクラスだったが、余りにみんなの知るところとなり、担任の先生も、みんなの前で、「お前はJが好きなのか?」と聞くほどだった。少年Eは思いつめ、恋しい気持ちで、胸が苦しくなるほどだった。クリスマスプレゼントに8百円くらいのブローチを買った時はドキドキしたが、渡したのか、はっきり記憶がない。また、日曜日に飼育部のエサやりで登校したついでに、少女Jの上靴を手に取ったり、においを嗅いだりした(相当バカで、かつ危険なレベルだ)。

 いよいよ、小学校も卒業のころ、少女Jの一家が地方都市に引っ越すことを知った。少年Eはショックだったが、諦めるより仕方がなかった。しかし、神様に願いが届いたのか、引っ越し先の住所を聞いて、少年Eは手紙を書き、なんと、二人は文通することになった。

 少年Eは、有頂天だった。あとになって、冷静に考えれば当然であるが、3姉妹の長女の少女Jと、6歳違いの姉がいるが末っ子の少年Eが釣り合うはずはなかった。それでも、ひとえに少女Jのやさしさにより、月1回くらいの手紙は4年続いた。中学の間は、手紙だけで会うことも電話すらなかった。誰一人知る者もなかったが、互いの親も温かく見守っていた。やがてふたりは別々の高校へ進み、少年Eの高校の6月の文化祭に、少女Jが来てくれることになった。少女Jは高校の夏服姿で、可憐で目立った。おまけに、自作のニワトリのクッションを紙袋に入れて持って来て、少年に渡してくれた。少年Eは、完全に舞い上がっていた。少女Jを学校中自慢げに案内しながら、ほとんど少女Jの周りを、空中約3mの高さで漂っていた。少女Jは少年Eのあまりのアホぶりに、「こいつぁ、ダメだ、私もう限界」と思いながら、うわの空でただ鼻の下を伸ばしっぱなしの少年Eを愕然と見ていたが、少年Eは、全く自覚していなかった。

 その後も、少年Eは急速に気持ちをエスカレートさせた。その年の冬、とうとう、少年Eは「Jのことが好きだ」と手紙に書いた。少女Jは、電話でも自分からは絶対に切らない、性格の持ち主だった。そんな彼女も、もう文通を続けることは出来なかった。高2になる始業式前の春休み、お城の見える市立図書館前で、会うことになり、少年Eは少女Jに引導を渡された、「もう終わり!」と。

 菅原洋一の「今日でお別れ」がレコード大賞を取ったのは、それより少し前だったが、少年Eはまさしく自分の歌だと思いながら聴いていた。「春なのに、お別れですかー」の方がピッタリなんだけど、そのずっと後でした、流行ったのは。

今回の一首
深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け
               古今集 巻十六 壬生忠岑 


春の校門


 

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