見出し画像

アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編①「フランダースの犬」号泣事件

 少年Eは、昭和30年代はじめ、S県F市の駅前商店街で生を受けた。父は、近隣の農家の五男、母は農家の第三子にして長女、二人は東京での出会いを経て、戦後結婚し、長女(姉)の誕生から6年置いて、やっと待ちに待った長男の誕生であった。

 その頃は田舎町でも、傷痍軍人がそこかしこに居て、包帯、白衣、松葉杖をついて金の無心をしていた。戦後はまだがん然と残っていたが、街は活気に満ちていたように思う。長嶋、王の巨人入団が昭和33,34年、大鵬の新入幕と大関昇進が昭和35年、巨人・大鵬・玉子焼きの時代の到来であった。

 店の商売は繁盛し忙しく、幼い少年Eは、近所の知らないおばさんに日中預けられていた。保育園に入園前の個人的な託児所であった。少年は寂しくてどうしようもなかった訳ではないが、母親大好きで、内向的で小心で、愛に飢えていた。

 保育園に入ると、とにかく登園拒否で、毎朝泣きながら大遅刻で通園していた。それでも、愛を求めて初恋は早く、同学年の女子の他、年少の女の子にも可愛いという思いを抱いていた。ただし、思いのみで、行動にはとても恥ずかしくて結びついていなかった。

 小学校に入ると、さすがに登校拒否はなかったが、子供会という、近所の小学生全員が加入するグループに入り、登校や遠足、観劇・映画等一緒に行っていた。 

 ある日、「フランダースの犬」という映画を観に、町の映画館に子供会で行った時のこと、覚えているのは、2階席の一番前に座って、前の手すりに顔を載せ見入っていた。そして、ネロとパトラッシュが天国に上っていく場面で、少年Eは号泣し、おいおい声を上げて泣き出した。それを見た隣の上級生たちが、「おい、泣いてるぞ!」とビックリするのであった。そういう子どもであった。

今回末尾の一首
家に在りて母がとり見ば慰むる 心はあらまし死なば死ぬとも
                         山上憶良

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?