マガジンのカバー画像

【短編小説】

16
ホッと一息つく3分〜5分で読める短編小説です。
運営しているクリエイター

記事一覧

【短編小説】1LDK叙事詩

【短編小説】1LDK叙事詩

「じゃあ、そろそろ行くね」
そう言って洗面所から出てきた彼女の唇には
薄いピンクのリップが塗り直されていた。
「おう」
案外あっさりと訪れた別れの瞬間に
拍子抜けした僕は
思わずそっけない返事をした。

「荷物、これだけ?」
彼女の足元にまとめられている
2.5周分の四季の洋服が詰め込まれた
大きめのキャリーケース1つと
よく分からないタイトルの本が
びっちり詰まった2つの大きな紙袋は
28歳女性

もっとみる
【短編小説】鈍色のサウスポー

【短編小説】鈍色のサウスポー

掌に収まったメダルの中心には、
太陽に照らされた
金色のダイヤモンド旗が輝いている。
確かな重みを首に感じた時、
僕は日本の頂の景色を見た。
割れんばかりの拍手と
歓声に包まれた球場の真ん中、
僕は右の拳を空に向かって突き上げた。

「徹也、日本一おめでとう!乾杯!」

社会人野球日本選手権大会を制した年の瀬、
地元では恩師を始めとする
三十四期平野高校野球部の
懐かしい面々が揃っていた。
僕の隣

もっとみる
【短編小説】夜明けと共に僕らは

【短編小説】夜明けと共に僕らは

<ピー、ピーピー、ピー、ピーピー>

一定のリズムでドラム缶を掻き回す
重低音がピタリと止んで
甲高い電子音が目覚ましの合図になった。

前のめりな日差しが
梅雨前線を強引に押しのけて
急足でやってきた今年の夏はとにかく長く、
日差しはやけに、強く街を照らしていた。

そんな夏をやり過ごすため
コインランドリー室内の
クーラーの効きは抜群だった。
しかしそんな冷風に当てられた
固く冷たいプラスチッ

もっとみる
【短編小説】蝶の舞う場所

【短編小説】蝶の舞う場所

「あちらのお客様からです」
清潔感溢れる真っ白いシャツに
黒のベストを着たバーテンダーが
カウンターにウイスキーグラスを差し出した。

頬杖を外して目の前のグラスを見やると、
そこにはウイスキーの海に浮かぶ
オレンジにチェリー、レモンピールが
短いステンレスで串刺しにされている。

はぁ、今日くらいは勘弁してよ。
今から初対面の気取ったナンパ男に
失恋話をしおらしく話す気にはなれない。
第一、あの

もっとみる
【短編小説】世紀末のクリスマス

【短編小説】世紀末のクリスマス

1999年12月24日、
昭久は東京の夜空を飛んだ。
サンタクロースがトナカイの引くソリに乗って
ふわふわと上へ登っていくように、
昭久はふわふわと地上へ降りて行った。
目の前に広がっていた街のネオン達は、
戦後日本が20世紀に作り上げてきたもの、
まさしく文明の賜物であった。

10歳の類もまた、凍てつくイブの夜空を一人、
祈るように見つめていた。
少年のまだ細く小さな指は、
結露した窓にあるプ

もっとみる
【短編小説】図書室の君

【短編小説】図書室の君

見知らぬ街から小包が一つ届いた。
宛名の欄には懐かしい文字が並んでいる。
すらすらと迷いなく
封筒の上に寝かせられたその線たちは
丁寧なとめ・はね・はらいが施されていて
横一列にお行儀よく並んでている。

小包を開けると
1冊の文庫本と、そこに手紙が添えられていた。
手紙の書き出しはこうだ。
『さっそくだけど今から少し、
僕の見ていた世界の話をするね』
頭語も時候の挨拶もすっ飛ばしたそれは
いつも

もっとみる
【短編小説】愛とか友とか生姜とか

【短編小説】愛とか友とか生姜とか

土曜の23:12、飲み屋からの帰り道、
彩と繁は駅までの数百メートルの道のりを
二人並んで、ゆっくりと歩いていた。

「なんか喉乾かない?逆に」
コンクリートブロックの上を
両手でバランスを取りながら歩く彩は
少し繁の顔を覗き込むように問いかけた。

「分かる。あんなに飲んだくせにな」
繁は左手をポケットに突っ込みながら歩いていた。
少しふらつく彩を時々見やり気遣って
右手はいつでも差し出せる

もっとみる
【短編小説】君がまだ知らぬ夜

【短編小説】君がまだ知らぬ夜

「主任。もうこんなオフィス抜け出して
僕と水星にでも旅に出ちゃいません?」
水星はいたずらに笑いかけ
私を夜空へ連れ出そうとしているようだ。
彼はキーボードの上にある私の右手を握った。
彼は、翼の生えたサンダルを履いていた。

オフィスも慌ただしい午後2時、
パソコンと険しい顔でにらめっこしていると
私に呼びかける声が耳に入たので
慌てて姿勢を正し、椅子を右方に回転させた。
「あら水星くん。どうし

もっとみる
【短編小説】歌うたいの君へ

【短編小説】歌うたいの君へ

ボクの覗く世界一面には
幾何学模様が広がっている。
コバルトブルーにターコイズブルー、
その隙間を絶え間なく埋めるように
眩いシルバーが輝いていて
時折顔を出す群青色の深い青が
ボクの心を静かに癒してくれる。

一度角度を変えると
世界はがらりと様変わりして
もう二度と同じ景色を見せてはくれない。

直径1㎝にも満たない
小さな覗き穴の先に広がるその世界には
幼いボクの心を虜にするには十分な
眩す

もっとみる
【短編小説】私じゃなきゃどうするの?

【短編小説】私じゃなきゃどうするの?

「ホットコーヒー1つと、
あとカフェオレお願いします」
「私、今日はブラックでいい」
「あ、すいませんじゃあコーヒー2つで」

席に着いた恭子はいつになく不機嫌で、
和樹と目も合わせようとしない。
別れ話にはこういう表情がお似合いだろうと
玄関の鏡の前で不機嫌のマスクを着けて
待ち合わせの喫茶店まで歩いてきたのだ。

和樹はいつも通りの
眼鏡が張り付いた穏やかな表情で
先に席に着いて恭子を迎えた。

もっとみる

【短編小説】命短シ愛セヨワタシ

「30歳になった時、
お互い相手がいなかったら結婚しようよ」

愛の告白にしては
なんとも打算的な不気味さを醸し出す
根本的な熱情に欠けるこんなプロポーズは
巷で割と耳にするセリフかもしれない。

『君のことは嫌いじゃないし
むしろ全然アリなんだけど
今の自分の状況を投げやってまでも
側に居たいと思う存在ではないよ』

缶ビールを4本空けた後、
煙草の煙と共に吐き出された
その奇妙なプロポーズには

もっとみる
【短編小説】ハイライト・ブルー

【短編小説】ハイライト・ブルー

今日は朝からスマホの通知が鳴り止まない。
部屋の片付けの手を止めて
懐かしい人たちから寄せられた
お祝いのコメントをついつい読み込んでしまう。

Instagramのフォロワー数
高々数百人程度の一般人の私でも
ひとたび結婚報告の投稿をすれば
こうして、どっとお祝いの通知が溢れる。

社会人生活にもなれば
日頃こまめに連絡を取っている人なんて
ごくごく数人に限られるというのに
この手のSNS投稿に

もっとみる
【短編小説】Millennium Babies

【短編小説】Millennium Babies

西暦2000年。
この年に生まれた僕達は
『ミレニアムベビー』と呼ばれた。
世界は僕達の誕生を
新しい世紀の始まりだと言って
お祭り騒ぎで歓迎してくれた。

同時に、西暦2000年は400年に1度の
特殊な閏(うるう)年ということで、
その年の2月29日の閏日を迎えると
多数のコンピューターが誤作動を起こし
世界各国で様々な問題が発生すると
各マスコミが騒いでもいたらしい。

結果としては、
直前

もっとみる
【短編小説】そのうち一緒になろうよ

【短編小説】そのうち一緒になろうよ

僕の彼女は、ズボラな人だった。

目覚ましのスヌーズを毎朝最低5回は鳴らし、
ガス料金の請求書も溜め込んでギリギリに振込み、
スマホのメールフォルダには5206件の未読表示、
僕の一世一代の愛の告白だって
なかなか返事をくれやしない。

「もう7時半だよ、起きないの?」
「う~ん、そのうち起きるよ」

「ほら、ガスの請求来てる。今週中だってさ?」
「うんうん、そのうち振り込むから」

「こんなにメ

もっとみる