【短編小説】私じゃなきゃどうするの?
「ホットコーヒー1つと、
あとカフェオレお願いします」
「私、今日はブラックでいい」
「あ、すいませんじゃあコーヒー2つで」
席に着いた恭子はいつになく不機嫌で、
和樹と目も合わせようとしない。
別れ話にはこういう表情がお似合いだろうと
玄関の鏡の前で不機嫌のマスクを着けて
待ち合わせの喫茶店まで歩いてきたのだ。
和樹はいつも通りの
眼鏡が張り付いた穏やかな表情で
先に席に着いて恭子を迎えた。
何の確認を取るでもなく店員を呼び
いつもの通り恭子が好きな
甘いカフェオレを頼もうとするから
恭子にはそれが余計に腹が立った。
「ねえ、きょうちゃん」
「うん、なに」
「今日、来てくれてありがとね」
「うん、いいよ。私も話あったし」
「髪の毛、ばっさり切ったね」
「うん。なんかもう面倒になって」
「そっか。まだ見慣れないけど、かわいい。
ボブのきょうちゃんも僕好きかも」
「お待たせしました、ホットコーヒーです」
「ありがとうございます」
店員へ礼を伝え小さく会釈した和樹は、
自分のコーヒー皿の脇にある
フレッシュを恭子に差し出した。
「いらない。今日はブラックって言ったじゃん」
「そっかそっか。じゃあいただきます」
カップから漂うほろ苦い香りの湯気が
和樹の眼鏡を一瞬覆い、
レンズの表面を撫でるように通り去った。
恭子はコーヒーを一口舐めて
すぐさまカップを受け皿に戻した。
カップが皿に当たる音が
思ったより大きくて少し肩をすぼめた。
「あのさ、私昨日美容院に行ったの」
「うんうん。いつものあそこね」
「かずくんがロング好きなの知ってて
わざとボブでお願いしますって言った」
「あ、わざとだったのか」
和樹は眉毛を垂らしながら
少し困ったように小さく笑った。
恭子は少し眉間にしわを寄せて
また話し出した。
「あのさ、かずくんは私のどこが嫌い?」
「ん、どしたの急に」
和樹は持っていたカップを皿に戻し、
眼鏡越しの細い目を少し見開いて恭子を見る。
「いいから」
「うーんえっと、あとで考える(笑)」
「なにそれ」
「ちゃんと好きだよ。きょうちゃんの全部」
「もう…そういうのじゃなくて…」
恭子はコーヒーカップを手に取り、
ため息を一息ほどカップに混ぜて飲んだ。
冷め始めたコーヒーはより苦みを増して
恭子の舌が委縮するのが分かった。
「あのさ、かずくんは何を見て
私の全部が好きとか言えるの?」
「うーん…昨日までのきょうちゃんと、
目の前にいる髪を切ったきょうちゃん」
「それだけ?」
「うん、それだけかなあ」
和樹は恭子の目を見て微笑む。
恭子は下を向いて髪の毛を触る。
「私は、かずくんとの未来を見たいの」
「うん?」
「大学時代に付き合い始めて4年。
この先私たち、どうなるの?」
「…まだ、分かんない…」
和樹は俯き、唇を噛む。
「ほら、そういうとこ。
昨日までと今を大事にするのもいいけど
明日からのこと、
かずくんはどう考えてるのか全然分かんない」
「…」
和樹の沈黙に呆れた恭子は、
深く息を吐き一気に吸い込み、話そうとした。
「だからもうさ、私たち」
「…ちょっと待って、きょうちゃん。
こんな僕でごめん。だけど…」
「だけど?」
恭子は話を遮られた怒りよりも少しだけ強く
微かな希望的なものを期待する自分に気付き、
不本意ながらもすんなりと
和樹にターンを譲った。
眼鏡の奥の目をぎゅっと閉じて見開いて、
和樹は勢いよく話し続けた。
「こんな僕には、こんな僕だからこそ、
きょうちゃんじゃないとだめなんだよ!
だから、もうちょっと、
もうちょっとだけ待っててほしい」
「もうちょっとって…どのくらい?」
「はっきりは言えないけど僕もちゃんと、
きょうちゃんとの未来を見るから」
普段の穏やかな和樹とは違う
必死になって言葉を紡ぐ姿に少し驚いて、
恭子は一呼吸置いてから尋ねた。
「かずくんは今、私とのどんな未来を見てるの?」
「未来…あったかいカフェオレを
あともう1つ頼んで、
この喫茶店を出たらきょうちゃんと二人
手を繋いで家に帰る未来。
あ、途中でコンビニにも寄って
きょうちゃんの好きな抹茶のアイスも買って。
これが、今僕がきょうちゃんと見たい未来だよ」
気付くと恭子の瞳には潤いが溢れ出し、
思わず笑みが溢れてしまった。
「もう…なにそれ(笑)
明日にすら届いてないじゃん」
「ごめん…でもちょっとずつ、
明日のことも来年のことも10年後のことも
ちゃんと考えられる僕になるから」
「かずくんがもたもたしてると、
私どんどんおばさんになっちゃうよ?」
「それでも、その日までのきょうちゃんと
その時目の前にいるきょうちゃんの
全部を好きでいるから、ね?」
「まったく…普通さ、そんな待ってくれる子、
そうそう居ないんだからね?」
「うん、そうだよね…」
依然として険しい顔つきの和樹に
恭子は少し意地悪に問いかけた。
「私じゃなきゃどうするの?」
「僕には、きょうちゃんしか居ないんだよ」
「お待たせ致しました、
ホットカフェオレになります」
「ありがとうございます」
和樹はまた穏やかに店員に挨拶をし、
カフェオレを恭子の前に差し出した。
「冷めた苦いのは僕が飲むからさ、
きょうちゃんはあったかくて甘いの飲んでね」
恭子はマグカップに唇を寄せた。
甘くて温かくて、幸せな味がした。
『私も、あなたじゃなきゃだめかもなあ』
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