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【短編小説】ハイライト・ブルー


今日は朝からスマホの通知が鳴り止まない。
部屋の片付けの手を止めて
懐かしい人たちから寄せられた
お祝いのコメントをついつい読み込んでしまう。

Instagramのフォロワー数
高々数百人程度の一般人の私でも
ひとたび結婚報告の投稿をすれば
こうして、どっとお祝いの通知が溢れる。

社会人生活にもなれば
日頃こまめに連絡を取っている人なんて
ごくごく数人に限られるというのに
この手のSNS投稿には
多くの知人が敏感に反応するというのが
現代社会の人間関係の象徴とも思える。

「先日26歳の誕生日に、入籍しました」

インスタのマイページに並んだ最新の投稿は
「婚姻届」の三文字を囲む3つのリング。
真ん中は大きなダイヤが装飾された
Tiffanyのエンゲージリングが輝いている。

独身時代、いわゆる王道ともいえる
こういう結婚報告のSNS投稿を見ては
内心小バカにしていた自分がいたものの、
結局は自分も「人並みの幸せ」に憧れていた
普通のアラサー女子だったのだと最近自覚した。


子供の頃から私は、
みんなより少し勉強ができたし
それなりにスポーツも得意だった。
それでいて鼻につくような態度はとらぬよう
対人関係もそつなくこなすタイプの人間だったので
あまり自分の心の中を表に出さず
あくまで物事を客観視して
傷つかぬよう賢く慎重に生きてきたつもりだ。

周りの女の子が持っているものは
自分もちゃんと手に入れたい。
20代半ばになると欲しくなったのは
「幸せな結婚ができる私」というスペックだった。

それを与えてくれたのが夫だ。
派手なプロポーズなんていらないからね
なんて常々話していた私に
「僕なりの覚悟だから、ちゃんとさせて」
そう言って私の前に膝まづいて
ティファニー・ブルーの指輪ケースを開いて見せた。

酒も煙草もギャンブルもしない。
とても仕事熱心で誠実な彼は
いつも私の方を真っ直ぐ見てくれて
全力の愛を注いでくれる。
この人の隣を歩けばきっと不安はないし
私にはこんな人がピッタリなんだ。
そう思い、私は左手を差し出した。


数々のお祝いコメントを読むほどに
結婚への実感が徐々に湧いてきて
なんだか感慨深くなって左手の薬指を眺めていた。
私の指のサイズにピッタリ合わせられた指輪は
日の光を集めてキラキラと輝いていた。

さっ、さぼってないで片付けてしまわないと。
学生時代からかれこれ8年暮らしたこの部屋には
あまりにも多くの物が溢れていて
なかなか整理が進まない。
段ボールだらけの部屋を見渡し、
スマホを置いて重い腰を上げた。

棚の整理に差し掛かった時、
引き出しの奥の方から懐かしい物が出てきた。
hi-liteの煙草の空箱だ。

水色と白の空箱を持ち上げると
中からカラカラと何かが転がる音がした。
蓋を開けて斜めに傾けると
中からシルバーのネックリングが
コロンと手のひらに落ちてきた。

ビンのお酒の蓋の下の方についている
銀色の金具の端切れみたいなあれだ。
大雑把にねじ曲げられたその金具は
丸い指輪のような形になっている。

「こんなガラクタ、
いつでも放り捨てていいからね」

そう言って優しく笑うあの人の横顔が
ふと鮮明によみがえった。



4年前の大学4年の秋、私は彼と出会った。

就職活動も卒業単位の取得も無事終えた私は
その解放感と残り少ない青春時代への焦りから
毎週のように夜の街へ繰り出していた。

彼との出会いはいわゆるナンパで、
よく遊びに行っていたカジュアルバーで
彼の方から声をかけてきた。

「隣、座ってもいい?」
週末の人でごった返す店内は
ネオンのライトと流行りのEDMによって
非日常が演出されていた。

女友達と2人で飲んでいたところ
同世代くらいの2人組の男の子だったので
4人はすぐに意気投合し、
気付けば会話は男女2人ずつに分かれていた。

隣に座っている彼は、
落ち着いた話しぶりが特徴的で
サラサラの黒髪をセンター分けにしていた。
時折見せる冷たくて悲しげな表情が
なぜだか気になって仕方がなかった。

名前は拓哉、同い年の大学4年生。
近くのバーでバイトをしていて、
家がお互い割と近所で、
春になったら東京で就職するらしい。
彼という人物を形作る情報が
少しずつ蓄積されていくほどに
もっともっと彼を知りたいという
本能的な衝動に駆られるのが分かった。

「ちょっと、煙草吸っても平気?」
副流煙が有害であることなんて百も承知だが
今どき電子タバコではなく
紙煙草を指に挟んでいる彼に
なんだかグッときてしまって
努めてクールな感じで私は答えた。
「うん、全然気にしないよ」

猫背で俯きながら煙草をくわえる
彼を横目に見た。
ライターの炎に照らされた彼の黒目がちな瞳、
長いまつげと骨ばった指が綺麗で
つい見とれている自分がいた。

煙草の煙が私に直接当たらぬよう
少し顔を歪めながら煙を吐き
彼は話を再開した。

「趣味とかあるの?」
「うーん、映画とか観るの好きかな」
「あ、そうなんだ。俺も映画好きだよ」
「へぇ、奇遇だね。どんなの観る?」
「鉄板だけど、タイタニックは名作だよね」
「あれ私も大好き。もう3回は観たかも(笑)」
「俺も何回も観てる(笑)今度映画観賞会しようよ」
「あはは、いいね、楽しそう」

第一印象から既にお互いに
興味を持っている男女はそもそも
会話の中にほんの些細な共通点を見つけては
「俺たち私たちって気が合うね」
そういう既成事実を作ろうとする。
そうして恋の始まりの高揚感を
自ら演出し、没入していく。

そのままお酒が進んだ私たちは
その夜結局ホテルへとなだれ込んだ。

アルコールと煙草、
ほんのり香水が混ざった香りの彼のキスは
ほろ苦くて甘くて、
頭が溶けてしまいそうにクラクラした。

所詮、バーでのナンパから始まる
ピュアなラブストーリーなんてそう存在しない。
そうやってこの状況を客観視している一方で
彼に対して特別な感情を抱いているのに
早々に体を許してしまった
自分の情けなさを感じていた。

それでも努めてクールな感じで
「私は別にいいけど?」みたいなスタンスで
物分かりの良い遊び慣れた女を演じていた。


それ以後2人は、ただの都合の良い関係になった。
いや、「関係」というと相互の利害関係の
一致が見られるのであえて訂正すると、
それ以後私は彼の、ただの都合の良い女になった。

女友達なんかにこの関係を話したら
何を言われるかだいたい見当がつく。
「そんなの絶対に幸せになれないよ」
「別にあんたが良いならいいけど
好きになったら絶対しんどいよ」
だってこれらが、日頃私が偉そうに
女友達に助言してきた言葉そのものだから。

バカな真似をして自分を見失わないように
常に周りに認められる生き方をしてきた私は
そんな自分の愚かさを
誰よりも客観視できていた。

それでも、
どうしようもなく彼に惹かれていて
自分の中に刻み込まれていく大きな愛を
閉じ込めておくことができなくなって
言葉以外のすべての方法で
彼への愛を表現した。

「好き」という言葉だけは
絶対に口走らないように気を付けた。


彼からの気まぐれな連絡は
いつも日が沈んだ後、
インスタのDMで届くことが多かった。
『今日何してるの?』
『暇してるよ』
『一緒に映画観ようよ』
『いいよ、うち来る?』
『うん、なんかお酒買ってくね』
『おっけー』
私は慌てて部屋を片付け、メイクを直す。

22時頃インターホンが鳴り、彼が来る。
「いらっしゃい」
玄関先でそう迎えると、
彼は軽いキスと優しい笑顔で応えてくる。

「今日はタイタニック観たい気分かも」
彼はコートを脱ぎながらそう提案をする。
「いいね、観よっか」
私は先にソファーに腰掛けて
目当ての映画をサブスクから探しだす。
彼は部屋の電気を消して隣に座ると
買ってきたビン酒の蓋を開けてから
私にそれを手渡してくれる。
「じゃあ、乾杯~」

二人で映画を観ていると
彼は本当に映画が好きなんだと
感心することがたびたびあった。

私の肩に手を回して頭を撫でながら
スクリーンを見つめる瞳は真剣そのもので、
途中でウトウト居眠りしだしたり
エンドロールまで待たずに
ベッドに誘おうとしたりしない。
そういうところが、すごく好きだった。

3時間14分に及ぶ超大作のエンディング、
年老いたローズが
ジャックとの思い出が詰まった
ダイヤのネックレスを海へと放り捨てる。
そのシーンが切なくも清々しくて
2人のお気に入りのシーンだった。
叶わなかった愛の物語が
深い海の底で初めて永遠のものになる瞬間だ。

「ローズが生きた人生みたいに
一人だけを想い続ける人生って
ドラマチックで憧れるけど、辛いんだろうなぁ」

『My Heart Will Go On』の
壮大な音楽が奏でられる
長いエンドロールを眺めながら私は呟いた。

それが自分への皮肉だと知ってか知らずか
彼は飲み終えたビンの蓋を
いじって遊びながらこう返した。
「まあ、ジャックはそれに値するほどの
いい男だったってことでしょ」
「まったく、罪深い男だね」
私は少し呆れて笑った。

「はい、じゃあこの指輪あげる」
そう言って彼は手のひらの
シルバーのネックリングを見せた。
「え、なにこれ?
ダイヤのネックレス的なこと??」
「うん、そうそう。リングだけど(笑)
あ、ケースもお付けしますね、ローズ姫」

彼は先ほど最後の1本を吸い終えた
hi-liteの空箱を添え、おどけてみせた。

彼からの最初で最後のプレゼントに
思わずはしゃいで大事そうに見つめる私を見て
優しく笑って頭を撫でてくれた。

「そんなに喜んでくれるなんて
君は本当にかわいい人だね(笑)」

彼はスクリーンを向いてこう続けた。
「こんなガラクタ、いつでも放り捨てていいからね。
それでも思い出はずっと残るから」

優しくて残酷な彼は私に
生涯叶うことのないこの愛の物語を
永遠のものにする唯一の手段を
無責任にも与えてくれた。

円はいびつな形をしていて
金具のささくれが指に引っかかって
私の指には大きすぎる指輪だった。
暗い部屋、スクリーンの光に照らされたリングは
儚く輝いて見えた。


それから私たちは社会人になり
彼は東京に行ってしまった。
お互いに慣れない社会人生活に忙殺されて
彼とは自然と疎遠になり
唯一インスタのみで繋がっていた。
ストーリーに彼の足跡がつく度に
胸がぎゅっと締め付けられた。

それでも年相応の恋愛をしようと決心し
2年前に友達の紹介で知り合った
今の旦那との交際を始めてこうして結婚に至った。
私は、素敵な人に愛されて、
ちゃんと幸せになれたのだ。



今日、引き出しの奥から出てきた
煙草の空箱とリングを見つけて
生涯叶わないはずのあの恋心が
まだ胸の奥で燃え続けていることに気が付いた。

私はそれを見つめてそっと、
ゴミ袋の奥底に放り捨てた。
もう誰も見つけられないこの指輪は
生涯消えない永遠のものとして
心の奥底にそっと沈んでいった。


人生で1番好きな人とは結ばれなかった。
2番目に好きな人と幸せになることに決めた。
なんとまあ、人並みで最高の人生なんだろう。

スマホのスクリーンが
また新しい通知を知らせた。

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