【短編小説】愛とか友とか生姜とか
土曜の23:12、飲み屋からの帰り道、
彩と繁は駅までの数百メートルの道のりを
二人並んで、ゆっくりと歩いていた。
「なんか喉乾かない?逆に」
コンクリートブロックの上を
両手でバランスを取りながら歩く彩は
少し繁の顔を覗き込むように問いかけた。
「分かる。あんなに飲んだくせにな」
繁は左手をポケットに突っ込みながら歩いていた。
少しふらつく彩を時々見やり気遣って
右手はいつでも差し出せるよう
手ぶらにしたままだった。
「じゃあ、ジャン負けジュースおごりね」
彩の提案に繁は応える。
「いいよ。俺は水でいいけど」
そのままコンビニで買い物をした二人は
近くの公園で少し休むことにした。
ブランコに座った彩に繁から戦利品が差し出された。
「はい、ジンジャーエール」
「わーい、ありがと」
「ホント好きだよな、それ」
「好きなのバレてたの。はずかし」
二人はそれぞれのペットボトルの蓋を開け
一口飲んでしばらく沈黙の時が流れた。
何も焦ることはない。
二人の間にはこの沈黙を心地よく感じられるほどの
信頼関係のようなものが存在していた。
二人の関係性には明確なタイトルが無い。
友達の友達という、ありふれた知り合い同士。
あえて”友人”とも”恋人”とも呼ばない
もどかしくも心地よい距離がそこにはあった。
二人の物理的な距離感といえば、
ほろ酔いで並んで歩くと
たまに肩が擦れ合い離れては
隙間を夜風が通り抜けていくくらい。
手も繋がないし、もちろんそれ以上も無い。
二人の精神的な距離感といえば、
出会ってから1年、数回サシで飲みに行ったが
普段連絡を取り合うこともなく
会えば刹那的な近況を話し合うくらい。
ただ、別れるのが惜しくていつも
わざと二人で一駅歩いて帰る。
友人のように語り合う時間もあれば
恋人のように見つめ合う瞬間もある。
ただ二人は互いに明確に、
人としての好意を相手に寄せており
それ故に存在する互いへの敬意が
二人の”距離”を付かず離れず保たせていた。
「ジンジャーエールの正体って生姜じゃん」
彩の唐突な話が始まった。
これは彼女のいつものことだ。
「うん、生姜だね」
「初めてそれ知った時さ、
私なんかゾッとしたの覚えてるんだよね」
「なんとなくそれ、分かる気がする」
繁は少し笑って返した。
「私って割とさ、
白黒はっきりつけて生きてきたっていうか
これは甘い物、辛い物、苦い物、みたいな感じで
先に脳内処理を済ませてからじゃないと
触れたり口に含んだりするのが怖いタイプだったの」
「うん、なんか彩らしいわ」
「だからさ、ジンジャーエールが
生姜の入った甘いジュースって知った時
私は今まで一体何を飲んできたんだって
半分絶望に近い恐怖を味わったんだよね」
「またずいぶんと大袈裟だな」
「うん、まあそれはさすがに盛ったけど」
「で?なんで今はこんなに
美味しそうにゴクゴク飲めてるの?」
繁は少しからかうように彩に問いかけた。
「だって結局ね、
この味の正体が分かったところで
美味しいことに変わりはなかったから。
好きなものは好きってことだったのよ」
「そうかそうか」
繁は優しく微笑み頷きながら
ペットボトルの水を飲み干した。
「それでね」
彩は繁の方に体を向ける。
「おぉ、まだ続くのか」
「うん、今日で最後だし。
今更だけど、私繁のこと好きだよ」
突然の彩からの告白だった。
しかし繁はさして驚きはせず、素直に応えた。
「俺も、好きだよ」
「まあ、今更言い合ったところでだよね」
彩は少し切なげに笑った。
「ただ正直さ、
私も未だによく分かんないんだよ」
彩は前を向き直しまた話し始めた。
「この好きって気持ちが友情なのか恋愛なのか、
そもそもそこに区別ってあるのかどうか」
「俺も、正直よく分かんない。
特に彩に対しては分かんなくなる」
お互いあえて言葉にしてこなかった
この微妙な感情の揺れ動きは
お互いもうすでに手に取るように分かっていた。
「明日で地元帰るから、
今日こんな話してくれたんだよな」
「うん、もうそんなに会えなくなるから」
地元を離れて大学に進学し就職し、
偶然この街で出会った二人は
帰る故郷がそれぞれある。
帰ることを引き留める明確な理由など
存在しない二人の今の関係性はつまり、
物理的な距離こそが二人を分かつだろうと
お互い曖昧ながら想像できていた。
「弱虫なんだよ、私。
弱虫だから好きとか大切とかいう感情を
上手く言葉で表現できなくて
“恋愛”とか“友情”とかにかこつけて
二人が繋がる理由をずっと探してた。
だけど結局、この感情の正体は
一体何なのかよく分かんないけど
やっぱり好きなものは好きってことだったの。
知ったところで好きなのは変わらないだろうから
もうその正体すら
知らなくても大丈夫な気がしてきたの」
彼女にはやっぱり叶わない。
繁は別れの日も、そう思った。
彩の乗った最終電車が走り出したのを見て
もう彼女には会えないと悟った。
あんなに近づいたのに遠くなってゆく。
胸が痛んだが、なぜか少しホッとしている自分もいた。
繁は一人帰り道、
ジンジャーエールを買って飲んでみた。
「ん、こんな味だったっけな?」
甘さと苦さを乗せた炭酸が
シュワシュワと繁の中に溶けていくのが分かった。
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