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【短編小説】そのうち一緒になろうよ


僕の彼女は、ズボラな人だった。

目覚ましのスヌーズを毎朝最低5回は鳴らし、
ガス料金の請求書も溜め込んでギリギリに振込み、
スマホのメールフォルダには5206件の未読表示、
僕の一世一代の愛の告白だって
なかなか返事をくれやしない。

「もう7時半だよ、起きないの?」
「う~ん、そのうち起きるよ」

「ほら、ガスの請求来てる。今週中だってさ?」
「うんうん、そのうち振り込むから」

「こんなにメール貯めて…そろそろ消せば?」
「そうだね~、そのうち消すよ、消すっ」

「ねぇ、僕たちそろそろ結婚しようよ?」
「そうだね、そのうち一緒になろうよ。
だって君のこと、だいすきだもん。」

僕の大好きな彼女は、
ズボラで予定調和が大嫌いな気分屋で
その瞬間に溢れる言葉を素直に溢す、
すごく可愛い人だった。

夏の雲みたいに
手の届かない高いところを自由に揺らめいて
嬉しいことがあると
くすみ一つない笑顔を見せる彼女は
白色がよく似合う人だった。


営業部の2年先輩だった彼女は
いつもどこか危なっかしくて
気付くと僕は先輩を目で追っていた。

午前中の営業先からの帰り道、
今日はオムライスが食べたい気分だと
先輩が言い出したので
二人で洋食屋さんに立ち寄った。

「わ~!美味しそうっ!」
目の前に運ばれたオムライスに
キラキラと目を輝かせる先輩は
少女のような無邪気さがあって
なんだかドキッとしたのを覚えている。

(ペチャッ)

先輩の真っ白のシャツに
真っ赤なトマトケチャップが飛びついた。
「もう~、ついてないなあ」
眉毛をシュンと垂らしながら
シャツをおしぼりでトントンと叩き
真っ赤なそれをふき取りながら
思い立ったようにこんなことを言い出した。

「よしっ、決めた。私会社辞めるわ。
今日の午後、部長に辞表出すことにする!
君、今までこんな先輩についてきてくれて
ありがとうねっ!」
「えぇ?!何言い出すんですか先輩!
何か嫌なことでもあったんですか?」
「んーん、別に何もないよ?
ただ、ケチャップの赤がすごく綺麗で
私の門出にはピッタリだなって思ったの」
「赤が…綺麗だから…?」
「私ってほら、ズボラで面倒くさがりでしょ?
だから、ちょっとした願掛け的な意味で
ちょっと踏ん張らなきゃいけない時とか
何か大事なことを決める時には
こんなダメな私を、
頑張れーって応援してくれる
綺麗な赤色が
側にいてくれる時って決めてるの」


そうして先輩は、本当に会社を辞めた。
僕は、その後もそんな先輩を
追いかけずにはいられなかった。

「先輩、僕の彼女になってください」
「え、うれしい…ありがとう!
…考えとくね!」

告白の返事ももらえないまま、
それから1か月がたった。
先輩は相変わらずの
ひょうひょうとした態度で
毎回楽しくデートに付き合ってくれた。

「あの、そろそろ返事もらえますか?
僕もう、どんな顔して先輩と会えばいいか…」
「う~ん、まあそう焦らないでよ。
そのうちね、ちゃんと返事するから
もうちょっと待っててくれる?」

惚れた弱みとでも言おうか、
こんな仕打ちを受けたって
またあの可愛い笑顔を見つめると
尚も待たずにはいられなかった。


そんなこんなで
もう例の告白から2か月が経った。
その日待ち合わせ場所に現れた先輩は、
真っ白なワンピースに
真っ赤なハイヒールを履いていた。

「お待たせ。
私、君のことだいすきって気付いた。
だからもう、先輩って呼ばないでよね」

いつもより5cm背が高くなった彼女は
尚も僕の13cm低い位置から
背伸びをして僕の首に両腕を回し
少し顔を赤らめてこう呟いた。
「これからもよろしくね」

僕は、彼女を精一杯抱きしめた。
雲みたいにふわふわ消えてしまわぬよう
強く優しく、抱きしめた。



「ねぇ、僕たちそろそろ結婚しようよ?」
「そうね、そのうち!
そのうち一緒になろうよ。
だって君のこと、だいすきだもん!」

未だに僕は、この可愛い笑顔に敵わない。
そのおかげで、こんなマイペースな彼女のことを
いつまでも気長に待ち続けられるという、
忠犬ハチ公並みの忍耐力を手に入れた。

「ははっ、またそうやってごまかす(笑)
僕たちもう付き合って4年になるんだし
今度こそは真面目に考えといてよね~」
「うんうん、そのうちね!」


付き合って4年記念日の今日、
僕は彼女とディナーデートを用意した。
『明日は19時にお店集合ね』
『りょうかい!たのしみ(^^)/』
前日にLINEでリマインドを送ったものの
彼女の遅刻癖は相変わらずで
案の定時間になっても彼女は現れない。

スマホの液晶は19:34を示している。
さすがに胸騒ぎを感じた僕は彼女に電話をかけた。
4回のコール音の後、電話が繋がった。

「今どの辺?なんかあった?」
そう問いかける僕へ返ってきたのは
見覚えのない男性の慌てた声だった。

「救急隊の者です。
この携帯の持ち主のお知り合いの方ですか?」
「あ、はい、そうですが…?」
「先ほど自動車と通行者の接触事故がありまして
この携帯の持ち主とみられる女性を
病院へ救急搬送している状況です。
至急、中央病院へお越しいただけますか?」
「え、はい、分かりました、向かいます」

電話越しの声に血の気が引いた僕だったが
話しぶりは不思議と冷静で、
すぐさまレストランを飛び出した。


駆けつけた病院の一室で
真っ白の布を被った彼女の顔は
美しいほどに青白く、
苦しみに歪んだ表情は一切見られなかった。

こんな穏やかな顔をしているものだから、
そのうちまた目を覚まして起き上がり
微笑みかけてくれる気がした。
僕は彼女の頭をそっと撫でながら
ベットの脇に腰を下とし、
いつものように彼女の目覚めを、
静かに待った。

(コンコンッ)

遺体安置室のドアが鳴り、
制服を着た警察官が入ってきた。

「この度は、ご愁傷様です。
こちら、ご遺体の遺留品になります」

彼女は今日、僕のもとに
お気に入りの真っ白なワンピースで
向かってくれていたのだと知った。
4年前のあの時と同じワンピースが
今夜は真っ赤な血で染められていたことが
皮肉でならなかった。

その横には、小さなショルダーバッグと
4本のバラの花束があった。
バッグの中から彼女の携帯を取り出し
ロック画面を解除した。
パスコードは今日、僕たちの記念日の日付。

写真フォルダの写真たちは
異様なほどに赤一色だった。

散歩がてら足元まで見に行ったけど
結局上らなくて下から見上げた東京タワー。
心置きなくかぶりつきたいという彼女に
僕が種を全部取ってあげた大玉のスイカ。
風呂上りなのに汗をかくほど遊んだ
温泉旅館の卓球ラケット。
彼女の寝坊で見れなかった初日の出の代わりに
結局昼過ぎにお参りした神社の鳥居。

僕がプロポーズをした3か月前から、
毎日のように彼女は
赤い物を写真に収めているようだった。

「そのうちね、そのうち」
なんてのんびりした風に話していたくせに
内心では僕の期待に応えようと
毎日焦っていたらしい。

本当の彼女の内面は、
願掛けなんかに頼らないと決断ができない
ズボラで臆病な人だった。
そんな彼女だからこそ、
僕は生涯隣で気長に待ち続け
ゆっくりと二人生きたいと思った。


写真フォルダの最後の1枚は、
4本のバラの花束だった。

僕に会いに来る道すがら
花屋に並んだこの赤いバラが綺麗で、
彼女はついに心を決めたのだろう。

4本のバラの花言葉は
「死ぬまでこの気持ちは変わらない」
プロポーズの返事が
あまりにも男前すぎて少し笑えた。

丁寧にラッピングされた花束の
写真撮影時間は今日の18時53分。
集合時間ギリギリだと気が付き、
焦った彼女は
真っ赤に染まった信号に気が付かず
思わず飛び出してしまったのだろう。

僕のことなんて、
何時間でも何年でも
待たせておいたらいいんだから。
そんなに焦らなくてよかったのに。
本当に死んじゃったら意味ないでしょ?

「そのうち一緒になろうよ」
その返事でもう、
十分僕は幸せだったんだよ。

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