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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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#日本史がすき

秦氏の出自を消していく桓武天皇⑩ ~同化する秦氏たち~

秦氏の出自を消していく桓武天皇⑩ ~同化する秦氏たち~

前回、桓武天皇の生母が朝鮮半島の百済出身で、秦氏系「土師」氏出身だと書きました。桓武天皇が京都に遷都したのも、母方の秦氏らが京都に多く住んでいたのも理由の一つだと言われています。平安京は、経済・技術の両面で秦氏がスポンサーとなって造営。事務能力に長けた沢山の秦氏が役人として桓武帝に仕え、平安京は発展していきました。

平安京造営から約10年後の790年。
(秦氏系)土師氏を母方に持つ桓武天皇は、ま

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秦氏のバックアップを受けた桓武天皇⑨  ~平安京とヘブライ~

秦氏のバックアップを受けた桓武天皇⑨  ~平安京とヘブライ~

フィクサー(黒幕)秦氏の続きです。
今回は平安京をつくった桓武天皇をヘブライ説から読み解きます。

桓武天皇の生母・高野新笠(たかのにいがさ)は朝鮮半島の百済王族出身。奈良時代、百済滅亡後、数万人の百済人が日本に亡命。天智天皇は、亡命してきた百済人をあたたかく迎えます。百済国内では通訳なしに日本語で会話できたと言われ、百済と日本と親密な間柄でした。
桓武天皇も即位後、「百済王等は朕が外戚なり」と発

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神武天皇はヘブライ出身?⑧ ~天孫降臨と秦氏~

神武天皇はヘブライ出身?⑧ ~天孫降臨と秦氏~

先日、神武天皇の3つの出自説で、ヘブライ説も書きました。
今回はさらにヘブライ説について掘り下げます。

約3000年前、南北ヘブライ王国の滅亡後、ヘブライ人は世界中に散ります。これが離散(ディアスポラ)。
離散した10支(部)族のうち、日本にやってきたのがユダ族。
ユダ(族)がなまって、ハタ・ハダ(秦)氏になったそうです。

諸説ありますが、神武天皇はヘブライのユダ族出身。ユダ族は王位継承権を持

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ドン兼家の謀略が始動?

ドン兼家の謀略が始動?

あり得ない展開があり過ぎるわ!

直秀(毎熊克哉)が「打毬」に急遽参加した時も心中で「は?」となりましたが、まひろの母の仇・右大臣家の藤原道兼(玉置玲央)がまひろの自宅へやって来た時も、「は?」となりました。

あり得ん。あり得ん。あり得ん。
(あえて3回言わせてもらう💦)

挙句の果てに、

暗い家だなぁ~!

オイオイ、どの口が言う?アンタのせいやから!

せっかく来たのにとか、
愛想がない

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どうして茅の輪をくぐるのか(その4・完)

どうして茅の輪をくぐるのか(その4・完)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1) 
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その3)

どうして茅の輪をくぐるのか。
 その由来と神話とのかかわりについて、歴史学者・東洋古代思想史研究家 村上瑞祥さんのコラムに興味深い説明があったので、これまでの疑問ごとに結論の部分を抜粋、要約する。

1)なぜ「茅」なのか。
⇒中国では古くから茅は

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どうして茅の輪をくぐるのか(その3)

どうして茅の輪をくぐるのか(その3)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1)
【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2)

この菅貫神事は現在の宇佐神宮でも、7月31日、8月1日、8月2日に斎行される御神幸祭(夏越祭り)の中で行われています。

菅貫神事の流れは文字ではわかりづらいので動画でも確認しましょう。 

菅貫神事は動画の8:05から3分程度収録されています。(宇佐市観光協会ツーリズムTV 平成25年8月2日収

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やっと本編!「光る君へ」の押さえたい見どころ

やっと本編!「光る君へ」の押さえたい見どころ

さて、今回は定子が残した3人の子供たちのその後を中心に今後の見どころポイントをピックアップしたいと思います。

ネタバレではありますが、史実に基づいた事なので、これからの大河の展開を見守るうえで、ドラマの創作具合を図るためにも、ここで整理しておきます。

後ろ盾の無い子らのその後定子は一条天皇の中宮という立場ではあるものの、父は志半ばで病没、兄・伊周と弟・隆家が「長徳の変」を起こしたことで失脚し、

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神武天皇の3つの出自⑦ ~ヘブライと秦氏~

神武天皇の3つの出自⑦ ~ヘブライと秦氏~

はるか昔、日本やってきた秦氏。秦氏の出自は3つの説があります。その中で最も謎に満ちているのが、中近東からやってきた秦氏。彼らはヘブライ王国の末裔であり、失われた10支(部)族と呼ばれた人々でした。

日本では時代が大きく動く時、必ずといっていいほど、秦氏系の人物が出現し、動乱期に突入します。秦氏は縄文の封印とも関わっていました。
約2000年から日本のフィクサー(黒幕)として活躍した秦氏たち。

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棚ぼた権力者の道長も、もう好青年ではいられない

棚ぼた権力者の道長も、もう好青年ではいられない

越前編が始まり、敦賀の松原客館に到着してすぐに通事の三国若麻呂(安井順平)が殺害されるというショッキングな事件が発生です。

安井順平さん、いつもそこそこの役柄が多いのにこんなに早く退場とは、不意を衝かれたね~💦

だいたい当地の役人、源光雅や(玉置孝匡)や大野国勝(徳井優)らは、見るからに不穏で、いかにも悪代官の匂いがプンプンしています。
おそらく捕らえられた朱仁聡(浩歌)は犯人ではないでしょ

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押さえておきたい!日本史を彩った道長の側近たち

押さえておきたい!日本史を彩った道長の側近たち

「光る君へ」もそろそろ中盤に差し掛かり、いよいよ越前編に突入するようです。
女院・藤原詮子(吉田羊)を呪詛したのは誰?
中宮・定子(高畑充希)が出家?
道長との過去の仲を父の為時に告げたまひろ
などなど、これらの伏線が次週以降の展開に生きてきそうで楽しみです。

さて、父に続いて、兄たちも次々と他界し、氏長者となった藤原道長(柄本佑)。

欲のない発言が目立ちますが、とんでもない。
一躍公卿のトッ

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道長、チャンス到来だ!!

道長、チャンス到来だ!!

思い起こせば、初回の道兼(玉置玲央)の悪の所業で、一気に心を掴まれた人がほとんどではないでしょうか?
それだけインパクトのある展開でした。

その後もさんざん悪態をつくシーンがあり、父の兼家の命令とはいえ、裏家業に手を染めるという藤原家の闇だった道兼でした。

よくよく考えてみれば、まひろの母を道兼が刺し殺すこと自体、脚本家・大石さんの創作であり、その悪行は死ぬ間際の道兼の聖人化を際立たせる前振り

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奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(後編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(後編)

前編は「尊王攘夷思想の誕生」について、中編は「水戸藩内の派閥争いの系譜」について、解説しました。

そして今回は、横浜鎖港問題に始まり、他藩の尊攘派との交流、そしてなぜあの悲劇につながっていったか、解説してみます。

水戸藩の尊王攘夷思想と幕末の社会情勢横浜鎖港問題

問題の位置づけが案外難しいのが、この横浜鎖港問題です。政治イデオロギー的に見れば、「神州日本にいる外国人を排斥する」ということにな

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奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(中編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(中編)

前編では、「攘夷思想」の発祥とその分類について解説しました。今回は、
前回の続きとなります。

徳川斉昭のリーダーシップと水戸藩の動向
さて、先に出てきた「徳川斉昭」についてです。先に述べたように、斉昭は文政12年9代水戸藩主となりました。諡が「烈公」と言われるくらい激烈な感情の持ち主なわけですが、従来の門閥主義を破って下士の中から人材登用を図るなど、幕末における改革派のリーダーでもありました。会

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奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(前編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(前編)

現在連載中の「鬼と天狗」も、鳴海が番頭に就任すると同時に、水戸藩の動きもいよいよきな臭くなっていきます。
作品冒頭で書いたように、文久2年の夏頃には既に尊王攘夷思想が生まれていたのですが、その後の動きについては、非常にわかりにくいと感じる方が多いのではないでしょうか。
書いているワタシですら各人の思想についてはかなり迷うところも多く、今回第三章(常州騒乱)に入る前に、水戸藩の尊攘派の動きと派閥の関

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