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江戸期~昭和初期の経済成長から見た日本酒の発展(市場経済側の経済的な視点からの日本酒の発展)
※見出しの画像は関西学院大学所有 灘の新酒番船江戸入江の図
江戸初期から中期までの経済状況
2019年現在の日本の人口は約1億2700万人、GDPは約550兆円となっていて、国民一人当たりのGDPが約433.7万円となっている。普通に働いて生活していれば、少々貧しくても一定のお金さえ出せば、欲しいものは買えるし、余程のことが無ければ食に困ることも、ほぼ無いと言えるといえます。
では、1600年
江戸期~昭和初期の経済成長(市場経済側の経済的な視点からの日本酒)その2 本日の紹介酒 櫻正宗 灘の生一本 純米酒 (兵庫県 灘)
※日本酒の画像は、櫻正宗㈱HPより引用
非常に厳しかった市場での酒質の競争
この頃、江戸へお酒を卸すには、上方の銘醸地である伊丹・池田・摂津富田・西宮・灘等の銘醸地の間で熾烈な酒質の競争が行われていて、現代の語の「下らない」の語源は上方から江戸へ下れない酒でありました。
仮に下れたところで仮に下れたところで、上方の酒同士での競争はもちろん、中国酒(愛知県の知多地方や三重県の四日市近辺)や関東
高級酒を販売するとは その2 デフレ型の商売からの脱却 本日の紹介酒 問世 問世 純米大吟醸 2016
酒、観光、飲食業界の本当の課題デフレ型の商売の在り方からの脱却、これからの酒業界、観光業界、飲食業界の大きな課題だと思います。一方で、普段飲みや家庭での食の部分に関しては、ある程度低価格が求められるのは当然かなって感じます。
価格の安さは決して正しい事でとは言えない長年飲食の業界に携わっていますが、この業界独特の安い=正しい事って考え方がどことなくあるように感じる事が、以前からよくありました。日
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その6 灘で生酛造りの技術として確立するまで 本日の紹介酒 仙介 純米大吟醸 (兵庫県 灘)
慶長の遣欧使節のその後
結局、アマルガム精錬法を徳川幕府は入手しましたが、1620年に遣欧使節が日本に帰った頃には、家康公は既に亡くなり日本は鎖国の方向へ進んでいたので、その後この慶長の遣欧使節の事もあまり表に出る事は無く歴史の中に埋もれてしまいました。
柱焼酎の技術一方で、柱焼酎の技法が歴史の表舞台に出て来るのは、元禄期の徳川綱吉公の時代であり、この頃にはある程度完成した生酛による酒造りに関
高級酒を販売するとは その1 本日の紹介酒 問天 生酛純米 2016
日本酒の飲み方に正解も間違いも無い日本酒の飲み方に正解は無いし、間違いも無いと言うのが本来有るべき消費者目線に立ったお酒の飲み方だと思います。ただ、日本人の悪い所はどうしても正解と言うか正確なお酒の飲み方を求めてしまう部分があると思いますし、日本酒を飲む人が全てきき酒師になる必要も無ければ、ソムリエになる必要は無いと思います。
自分なりに色々試した方が日本酒は楽しめますではどうすればもっと日本酒
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その5 慶長の遣欧使節団とシェリー酒 本日の紹介酒 菊正宗 上撰 生酛 本醸造パック (兵庫 灘)
慶長の遣欧使節団は長期間スペインのシェリー酒の醸造所に滞在していたこの使節団は長期に渡りスペイン内のシェリーの醸造所に滞在した事が(伊達政宗の遣欧使節 松田毅一著)には出ていました。直接、日本酒造りと関係ないと言われればそれまでだし、シェリー造りでは日本酒と全く同じでは無いですが、ワインにブランデーを加える目的は、お酒の味わいをスッキリさせる事と、お酒の保存性を高める事です。
山卸を足踏みで行う
生酛造りで造られた日本酒の味わいとは その4 山卸の作業はどのように進化したのか 本日の紹介酒 蒼天伝 大吟醸 (宮城県 気仙沼市)
足で酛摺りを行うようになった機会を作った出来事 本格的に足で酛摺りを行うようになったきっかけを考える場合、可能性が一番高いのが、伊達政宗公によって行われた慶長の遣欧使節です。
何故、慶長の遣欧使節が派遣されたのかこの使節に関しては伊達家がスペインと組んで天下を取りに行ったが故に行われたのではないかという説もありますが、(実際に家康公の体調が悪い時に本当に仙台藩と江戸幕府の間で戦争に成りかけたが、