病気を遠ざける "自分軸" 。
興味深い記事を見つけた。
上の文章は、理解しやすいし、その通りだと思う人も多いかもしれない。
では、こちらはどうであろうか。
もしかしたら、当たり前に知られていることなのかもしれない。
それでも自分はここまで詳しくは知らなかった。
きっと、身体だけでなく心の健康も同じなのだろう。
最後の太字にさせて頂いた文章は耳が痛い。
自分は、良い意味で諦めていたつもりだったけれども、こちらを読んで、負の感情の方が強かったかもしれないことに気付いた。
何かの病気だと診断されても、必ずしもそうとは限らない。
それがもし心の病気であれば、まず、正しく診断することからして難しい。
治療が困難なのも当然だ。
以前、寛解された人に対して、"どのように治っていったのか" を尋ねてみたことがある。
その際はnoteにも書いたが、とてもデリカシーのない聞き方をしてしまった。
それでもちゃんと答えてくださった。
つまり、冒頭の記事に書いてあるように、"自然(と共)に暮らしていたら症状が無くなっていた" ということなのだろう。
自分がよくSNSなどを見させて頂いている、精神科医のお医者さん方が仰ることにもよく似ている。
「〜べき思考を手放す。」、「できることをできる範囲で。」…
ところで、こちらの記事で言われていて印象に残った、 "自分軸" とは何か。
まだまだ自分にはやりたいことがたくさんある。
きっとまだ、できることでもあると思う。
それなのに、前向きに諦めようなどと考えていた自分は、どこか矛盾している。
一体、自分の本心はどこにあるのか…
先日、精神科医の藤野智哉さんのラジオにコメントをした。
「期待せずに生きる」とのタイトルのお話。
自分は、自分に期待しすぎて困ることがよくあると。
「やりたいこと」を、「できる」と安易に考えてしまうのも "期待しすぎ" だろうか…。
もしかしたら、答えなど出さなくて良いことを考えてしまっているのかもしれない。
「諦める」、「治る」のどちらかでなくても良い。
きっと今、自分は白黒思考をしている。
「他者軸」から「自分軸」へ
…自分勝手で好きに生きてる自分でも難しい。
そもそも、そうしているつもりで、本当はできていないのかもしれない。
本当にやりたいことってなんだろな…
もしかしたら思っているほど多くもないのかもしれない。
記事を読んで、ただ何となく今の気持ちを書いてみた。
今は、それが "やりたいこと" だったのだろう。
見出し画像は、地元の県木クスノキ。
最初は、引用させて頂いた記事を通して、「生きること」について、主に書くつもりだった。
だからこそ、力強く、何十年、もしくは何百年も生き続けているこちらの木の写真を選んだ。
帰省した時に撮ったものだ。
自分が子供の頃からずっとこちらに立っている。
実はすぐ下に川があって、その境目くらいに根本がある。
昔、川の整備をされた時、撤去されてしまうのではないか…と心配したけれども残して下さったようだ。
斜めに立っている上、電線にも寄りかかっている。
もちろん真下には川だけでなく道路もある。
台風なども多い地域だけれども、よく残して下さったものだ。
土台(根本)が斜めで不安定でも、真っ直ぐでなくとも、こうやってずっと自然のままでいられる…
考えてみれば、なかなか凄いことなのではないかと思う。
精神科医のゆるゆるラジオ。↓
以前書いた記事。↓
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