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「デリカシー」を学ぶ。

ある人から「デリカシーを学ぶように」とアドバイスを頂いた。

【デリカシー】
・人に対する心配りや配慮
・繊細で微妙な気持ち
・空気を読み、細かいところまで気を配る心遣い
・人の背景にある家庭環境や容姿、相手が抱いている現在の気持ちなどを考慮して発言を行ったり行動をしたりすること

引用元さん。↓


意味は分るけれども、きっとどれも自分には欠けているのだろう。
ではどうすれば良いのか。

YouTubeで検索してみたら、「デリカシーのない人への対処法」などは山ほど出てきた。
しかし、自分が知りたいと思う「デリカシーのなさを直す方法」などは出てこなかった。

それでも対処法などの動画を見ることで学べることはあるだろう。
しかし見る勇気がない…
怖すぎる。

一つだけ、タイトルとは少し趣旨は違うけれども見れそうだと思った動画があった。

こちらだ。

デリカシーがない人の特徴。
正に自分そのもののようで耳が痛い。

いつもは何度か見返してみるが、今回は見返すほどの勇気がなかった。
それでも、また勇気が出たときのために残しておこうと思う。


自分は昨年、初めてSNSに触れて世界が広がった。

しかし元々人付き合いなどが上手くいった試しはない。
ネット上での距離感については、「現実社会と同じようなもの」と、どなたかにアドバイス頂いたが、それすらよく分からない。

何度かアカウントを削除したり変えたりしながらも、今年に入ってやっと辞めることができた。

それでも辞め方が中途半端だったのだと思う。
つぶやきサイトは辞めても、他のいくつかのSNSのようなものは残していた。

完全にネット社会の「発信」からは遠ざかるべきだったのかもしれない。

結局SUZURIを始めたことがきっかけで、そのことを紹介したくてnoteも始めてみたら、つぶやきサイトと同じようになってしまっていた。

昨晩、動画を見てからは、このことばかりを考えて眠れなかった。
果たして全部のSNSを辞めさえすれば、何とかなるような問題だろうか…

誰かを傷付けるようなことは無くなっても、きっと自分自身は変わらない。
失敗(=経験)があるからこそ学ぶこともできる。

今のところ、現実社会で話す練習などをできるのは主治医の先生くらいだろう。
SNSをやっていれば、ほとんど家に居る自分でも、誰かと交流して学べることもあるかもしれない。

それでもその失敗が嫌になったからこそ、つぶやきサイトを辞めたのではなかったか…?

ずっとこんな考えを繰り返してばかりだ。


一応、動画だけでなく、Webサイトでも調べてみた。

こちらでは、特徴の他にも、「デリカシーがない」態度を直す方法も書かれていた。
本当にありがたい。

その方法とは、
1:相手に興味を持って気持ちを汲み取る
2:世間一般のマナーや礼儀を身につける
3:人と話すときは、話すよりも聞く

自分で評価するのは違うと思うが、1に関してはできているつもりだった。
「他人に興味のない人が多い」とも書かれてあった。
そうなのか…?
逆に興味がありすぎる気がしていたのだが、もしかしたら、「相手が興味があることに興味を持てない」のかもしれない。
つまりは偏りが大きいということだろうか…

2と3に関しては、もはやぐうの音も出ない。

精神科医・藤野智哉さんのツイート。


3に関しては藤野先生のツイートをまた思い出してしまった。
もしかしたら3だけに限ったことではないのかもしれない。


一応、デリカシーがない人にも長所はあるらしい。

・人からどう思われるかをあまり気にしない
・大胆に自分の想いを叶えることができるということもある
・神経が太くて細かいことを気にしない
・自分の思いに正直
・周りからどのように言われても傷つかない図太さが魅力
・どのような人に対しても臆せず自分の意見をぶつけることができる
・発言や態度が、状況を改善するきっかけを作る場合もある
・人によって裏表がない

……。

こちらは長所でもあるかもしれないが、ただ単に「深く考えないで行動する」とも捉えられる。
そして失敗し、最悪の場合、取り返しの付かないような間違いをおかしたりもするのではないだろうか…

思い当たることは山ほどある。
そして、どちらかと言うと自分の場合は「躁状態」の時のような気がする。

「躁状態」は本当に厄介だ。
その時に、自分がやってしまったことの代償が「うつ状態」の時にやってくる。

いっそのこと、ずっと「うつ状態」でいた方が良いのかもしれない。
よく双極性障害は、「低め安定を目指しましょう」と言われるらしい。
自分にとっての「低め安定」とはどの程度のものなのであろうか…

きっと主治医の先生に相談してみるのが一番なのだろう。


またあまり考えなしに書き始めてしまったnote。

結局、まだしばらくは「正しい療養生活を送れるようになること」が何より大切なのかもしれない。
そう思って今の自分を肯定しておこう。


見出し画像は、先日、仕方なく買い物に出かけた時の写真だ。

いつもならば、ある程度時間が経てば生活必需品が無くなる前に、また外出できるようになっていた。
それでも食糧がなければ生きてはいけない。
まだまだ生きようと思える力はありそうだ。

パパッと済ませようと思って外に出たところ、自転車に乗る前、駐輪場から見えたお花だ。
少し遠くてうまく撮れなかったけれども、キレイなお花だった。
それだけで少し気持ちも明るくなれた気がする。

植物は凄い。
ただそこに留まっているだけで何年も何十年も生きることができる。

人間が見習うことは難しいと思うけど、お日さまと水、そして他の生き物の命を頂くことさえできれば生きることができる。

デリカシーの話とは程遠くなってしまった。

幸い「デリカシーのない人への対処法」に関しては、教えてくれている動画やWebサイトが山ほどある。
どうか自分のことは自分で守って頂きたい。

デリカシーのない自分も、忘れないようにはしたいけれども、今は自分のことで精一杯だ。

SNSに関しては、「低め安定」が難しいようであればその時にまた考えよう。

また長くなってしまった…
もうお昼ごはん兼、夕ごはんの時間ではなかろうか。
ちょうど良い時間だ。

最後に引用元さんを貼り付けさせて頂こう。

YouTube動画のチャンネル。↓


精神疾患・藤野智哉さんのTwitter。↓


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