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言葉・文章・書くこと

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#書くこと

「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線

「書きたい」と「書かなきゃ」の境界線

ここまで私は内側から溢れ出るものを書かずにいられなく、欲求として文章を書いていることが多かった。
「書きたい」は抑え込むことはできても、自分を楽にするため、苦しさを和らげるために、救いのような道として書くことを位置づけていた。
けれど少し落ち着きを取り戻し調子が良くなってきた今、「書きたい」は「書かなきゃ」に移行しつつある時があるように思っている。

毎日更新を掲げていると、次第に義務感が生じてく

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一般化を避けて書くということ。

一般化を避けて書くということ。

真実は一般化できない。

人に会うと、ときどきこう言われます。

「末吉さんって自由ですよね。わたしもそんな風に生きたいです」

そうなんですよ〜と、まったく否定しません。しかし、たぶんきっと、その人が思っている自由とは違うもののはずです。もしくは重なりはあるけれど、やっぱりちょっと違うというか、云々かんぬん…。

その人は、僕が毎日のように書いている日常を切り取った文章を読んで、「あ、末吉さんは

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明日も、つむぐのです。

明日も、つむぐのです。

 「自分が書いたものをどんな人にも見てもらえる場所に置く」ことを始めて、もうすぐ3ヶ月になっちゃう。

 夏の終わりに始めたはずなのに、いつのまにか外出前にはハンドクリームを塗り、お風呂を出たらぬくぬく靴下を履く季節になってしまった。

 一人暮らしを始めて7年目(えっ、うそ、びっくり)になりますが、やっぱり得意料理ふゆバージョンは一人鍋です。
 2~3年前から、「こなべっち」とかいう名称で一人用

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25歳、表現の自由を知る。

25歳、表現の自由を知る。

なにを書いたって、いいじゃない。
そう思っているはずだし、そう思っていたはずだけど、ふとした瞬間にどこかで誰かがつぶやいていたことが引っ掛かっていることに気がつく。

「自分をネタにするような表現活動はなんか痛々しい」「ナンセンス」
どこかで、そんなようなことが言われていた。

(おそらく)最初はmixiに始まり、TwitterやFacebook、instagram、最近だとティック・トック?いろ

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なんでもない人がnoteに文章を残す意味

なんでもない人がnoteに文章を残す意味

私が小さい頃、将来の夢を持つことはとにかく良いことだとされてきたように思う。

プロのスポーツ選手、音楽家、医者、小説家、公務員、弁護士、お笑い芸人などがなりたい職業として挙げられ、マスメディアを通じて彼らのサクセスストーリーが私たちの頭にインストールされていく。

だから、私も頭の片隅で「大人になったらこういう人になることが良いことだ」と思いながら育ってきた。

しかし29歳になったいま、私

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宛先のある文章

宛先のある文章

学生時代、国語の作文がずっと苦手だった。

何かを書こうにもテーマが思い浮かばないし、仮に何かテーマを与えられていたとしても、いったいそのことについて何を書けばいいのかよくわからず、「○○が楽しかった」とか「○○に行って、○○をした」といった無意味な言葉をつらつらと書いて原稿用紙の空白を何とか埋めるのだった。

それがいまになって書くことにあまり抵抗感を覚えなくなった。自分は何かを書くことが出来

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「文章を書く」とは何か。

「文章を書く」とは何か。

最近の私は、本当によく文章を書いている。

日常生活を送っていても、仕事をしている間にも、突然どこからか言葉の海が溢れ出すような瞬間があり、外出時には常にメモ帳とペンの携帯を欠かすことがない。

ところがそれに反して、ネット上に文章を公開する機会はどんどん減っている。正確には「人に文章を読んでもらう機会」が減っている。最近ではツイッターもやめ、その他のSNSも積極的には使っていない。このマガジン「

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