ネットの低評価ボタンについてあらためて考えてみた|結論:マジでいらない
以前書いたこの記事
が全く予想外の伸び方
をしているので、もしかしたらこれは何かしらの需要があるのかもしれない、ということでまた考えてみることにしました。
タイトルにあるように、「インターネット上におけるあらゆる低評価ボタンは不要である」というのが結論です。
上の記事はちょっと勢いで書きすぎたというか、アクセス数を集めようとして(見事に功を奏したと言えるが)あえて扇情的に書いたので、あらぬ誤解や不要な対立、何かしらの余計な棘が含まれていたのではないか、と思って。
そう、言いたいことは「低評価ボタンはいらない」というただそれだけなのに。
あの記事を書いた本当の理由
真の背景は、
低評価を受けてめちゃくちゃ傷ついた
からです。ただ、それだけ。
傷ついて傷ついてつらくて(なので今でもYT Studioの評価は一切見ないようにしている)、そしてあまりにもムカついたので反撃として書いた、というのが本当のところ。
だってさ、せっかく自分が魂込めて何時間も何日も何週間もかけて作ったものを、どれだけの人に見てもらえるだろう、好きになってくれる人が多いと嬉しいな、と思ってワクワクしながら、そして勇気を持って全世界に公開したのに、それをさぁ!!
どこまでも無機質で、顔も名前もわからない、その人がどんな人生を送っていて、何に喜びを覚えて何に涙を流すのか、誕生日はいつで好きなことは何で〜、とか、一切の情報がわからない、そんな不特定多数から
「👎」
の一つだけもらうって。
……
なんだよそれ。
これはね、自分で何かを作って投稿してみないとわかりませんよ、この圧倒的虚無と憔悴に満ちた感情の渦は。
「100%嫉妬」とは思っていない
世の中に絶対や必ずなど存在し得ないので、それと同様に100%というのもないです。なので、「100%嫉妬」というのは嘘ということになります。
この部分について共感されて、スキを押してくださった方などいらっしゃいましたらすみません。
「良い」「悪い」の2つだけで判断できるわけがないだろう
最近書いたこんな記事
のこの部分
と同じようなことも、「高評価/低評価」ボタンにも言えるかな、と気がつきました。
追記:
なんか調べていたら共感できる意見をいくつか見つけました。
最後に引用した記事、素晴らしいです。なんか僕の言いたいことをほぼ全て書かれてらっしゃいました。
※大事なことなので2回言い(引用させていただき)ました。
とてつもなく共感できる……。マジでこれ。あまりにもわかりみが深い。
「それな」って1,000回くらい言いたい。
俺も初めからこういうカッコイイ言い回しをしたかったよ……。
さらに追記:
もっと読み進めていたら、またしても共感の嵐なものをみつけてしまいました。
”『その人自身が、自分の作品でそうすればいいだけ』”
これを書かれたブログの方、どなたか存じ上げないけれど、最高。
そう、これね、僕もYouTubeだけでなくnoteのコメントでもそうなのですが、記事に噛みついてくる人がたまにいます。
そこでいつも「それコメント欄に書くんじゃなくてさ、自分で記事を書いてよ」と思うのです。
低評価、押されるとすごく悲しいです。だから押さないで。
うん、僕が言いたいことはこれだけです。
最初からこれを言えばよかった。でも、5ヶ月前は素直になれなかったのであんな攻撃的なものを書いてしまったということです。
……ま! 素直にこう言ったら言ったで「じゃあ低評価押すわ」みたいなゴミクソ野郎がいることはわかってるので、それはただただ無視します。
そういったものも踏まえた上で。
低評価を押されると、すごく悲しい。
伝えたいことがあるならコメントを(アドバイスは求めてない)。
無機質な「良い/悪い」だと、本質は伝わらないし、不要な感情が生まれることが多い。
だからYouTubeをはじめあらゆるSNS運営者は、低評価機能を撤廃してほしい。
少しでもネット空間を心地よいものにするために。
そういうことです。
(´・ω・)つ旦