- 運営しているクリエイター
#意識
【思考の種蒔き】人生は選択の連続
こんなのは、ただの愚か者の戯言かもしれない。
でも、立ち止まって考えてみる価値はあるように思う。
喜び と 幸せ を感じられる環境に身を置くことに意識的になる、ということは、人生の中で重要なことかもしれない。
ストレス状態の中にあっては、その原因と解消に感情も思考も囚われ、エネルギーはどんどん削がれていく。そのストレス状態に、何分か?何時間か?晒され続けるということだ。
何を喜びとするのか?
【思考の種蒔き】【本心で生きる】コミュニケーションに勇気を携えて
感情の波は、時に荒波で、
コントロール不能 翻弄されもするけれど、
魂にとっては、どんな感情でも
感情の体験は ”LIFE“
生きるということ
そのものなのかもしれない。
そんなことを思った。
”すべての悩みは対人関係“
そういう話もある。
他者の言葉に傷つき、悩み、
自信を失い、
一歩踏み出すのが怖くなりもする。けれど、
それでも
人と人との関わりを癒すのは結局、
【思考の種蒔き】【本心で生きる】わたしに「ふさわしい」道を選ぶ
『輝くものすべてが金とは限りません。私は常に本物の富や、喜びで私を満たしてくれる金を受け取り、そして豊かさにふさわしく、理解されるに値します。私は、恐れることなく、今までいた場所、これから行く道を見直します。私は、私を正しく導くように見える道や私が歩くべきだと感じる道ではなく、私にふさわしい道を選びます。私は気持ちに正直です。私はこれまで可能な限りの成長を遂げてきました。私は今、幻想の最後の名残、
もっとみる【思考の種蒔き】心の平安を保つことは、「わたし」の権利。
気持ちの同調について、私の思うこと。
敢えて、こんな考えを記事にしてみる。
“同調圧力”という言葉がある。
私たちは今まで、多分、嫌というほど“同調圧力”を経験してきた。圧力になりそうな強い気持ち、他者からの“圧”を感じるほどの強い思い......両方とも、みんなそれぞれよくわかっている。誰でも両方、そういった気持ちを経験したことはあると思う。
「気持ちをわかってほしい、同調してほしい!」「
【思考の種蒔き】【本心で生きる】自分のニーズ(needs)に気づく
私たちは自分の理想を追い求める。
しかしどんなに手を伸ばしても、求める理想に必ず手が届くとは限らない......理想と現実のギャップである。
理想の姿や状態を思い描く時、自分のニーズ(needs)......自分の心が求めている”本質的なもの“にも気づいていく必要がある。
“自分の機嫌は自分で取る”という言葉をたびたび目にするが、それも自分の気持ちが今どんな状態であるか自分でわかっていることが
【思考の種蒔き】「本心で生きる」ためには?
考えすぎは良くないと、
わかってはいるけれど、
「直感重視」と思うけれど、
「自分の頭で考える」ことは、
この超情報化社会においては必要なことと思う。
直感とアタマと、両方をバランスよく使いこなす。それが私の目指したいところ......なのだと思う。
「本心で生きる」「本心を伝える」ことについて考えてみた。
「本心で生きる」とは本音を隠さない、自分に嘘をつかない、ということでもあるだろう。
【思考の種蒔き】愛と自己愛、エゴイズム、ナルシシズム
こんな時期に、敢えてこんな話をしてみる。
以前、“愛”に対するネガティブ感情が出てきて仕方なかった時期があった。
ある集団に属していた頃、
「私は皆と違う!!」という強い思いが頭をもたげて、堪らずその集団を脱けた。
「愛を、愛を」と声高に強調されるほど、私の心は猛反発した。
それは元々、私の心の課題(問題とは言わない)でももちろんあったのだけれど、最近になって、強い嫌悪感と恐れの理由が明確に
【思考の種蒔き】愛と信頼
こんなことを考え、まとめてみた。
愛はさまざまに形を変える。
愛は流動的なもの。
心から愛するということはどういうことか。
言葉だけでは愛ではなく、
相手を崇めるでもなく、
愛は、自然に湧き起こるもの。
愛は、気持ち。
愛は感じるもの。
見出すことができるもの。
愛は受容するものではあるけれど、
常に受身であるものでもない。
愛 から発生する行動は、能動的になれる。
愛は 努力して得る
【思考の種蒔き】【本心で生きる】心のつながりをつくり、育むという視点
『「わかりあえない」を越える』
マーシャル・B・ローゼンバーグ 著
今井麻希子 鈴木重子 安納献 訳
発行 海土の風
発売 英治出版
昨年12月、“本心で生きる”ことについて、記事を書いた。
自分と他人の違いを認めあう。(認識しあう)
お互いに、お互いを尊重する。
健全な境界線を保つ。
自分のエネルギーが奪われるようなら、そういった人間関係もモノも手放す。
“風の時代”の生き方の
【思考の種蒔き】“自分らしさ”の一角度
“自分らしさ”は過去にあるものではなく、
今ここに既に備わっているもの。
自分らしさは、今ここ に、既に在る。
たとえ、なにもないように感じていても、
“自分らしさ”を追い求めることはない。
今ここに在るものがすべてであり、
それは過去にはない。
自分のカタチを知ろうとして、何かに自分を当てはめようとするのも無意味。それは誰が決めたかよくわからない枠の中に自分を閉じ込めること、自分をカテゴライ