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猫の争う声がする夜に
今の家に引っ越してちょうど1年が経つ。
すぐ手の届きそうな距離にある川、そして遠くの山々に掛かる夕日を背景にして競うようにダッシュする新幹線と飛行機が見えるこの眺めがとても好きだ。
もう一つこの町が好きな理由は「猫」である。
確か以前住んでいたところも、近所で猫の集会が開かれるほど猫天国だったな。
人が座っているベンチの横、等間隔に連なるベンチのほとんどを占領した猫自治会の異様な光景は、きっと一
祈れ呪うな、あれは荒ぶる神だぜ
近頃丸い虹を襟元に飾った人が大分増えてきた。
調和を謳う輪の正体は揺らぎのない善であると信じたいが、私はどうもその輝きが不気味でならない。
ただの杞憂でしかないが、新時代の秩序になりつつあるその十七戒が、人の希望と尊厳を蝕む呪縛となるのが怖くて仕方ないのである。
この間、今までない新しいコラボを通しSDGsを語るという某トークショーに参加してきた。
どっちの起業家さんも非常に興味深い取り組みだっ
プレゼントって、いいね
1910年、『白樺』のオーギュスト・ロダン誕生70年記念号を発行した柳宗悦らは、手紙に浮世絵を添え、ロダン本人に送る。
翌年9月にはロダンからお礼の手紙が、12月には「マダム・ロダン像」、「或る小さき影」、「巴里ゴロツキの首」の3作品が『白樺』の元に届く。
そして1914年、そのロダンの作品を観るため、京城府から柳宗悦を訪ねた浅川伯教がお礼の品として小さな李朝焼き物を持参する。
白樺派からロ
勇者よ目覚めなさい、冒険の前夜にて
明日、新しい仕事が始まる。
まだ目にしたことのない新天地に赴くはずの足は、案の定フライングして地についていない様子。
日本に完全に移住してからの私は、かつて抱いていた夢をもすっかり忘却してしまっていた。
パッシブで、近視眼的で、閉鎖的な環境の中、正体不明の苦痛に耐えながら働いていたのはきっとそのせいだろう。
いつの時代にも「好きを仕事にする」ことをめぐっての議論は絶えないが、
誰しもが自分の世
北欧ヴィンテージとの出会い
ごく稀に、美しいものを目の当たりにした時、全身に電撃が走ることがある。
かつてラドゥ・ルプーの生演奏が、京都四条通の景色が、ルメールの色使いがそうであって、直近ではある焼き物がそれに似た感動を与えてくれた。
アルミニアは元々国内向けの商品や、近隣国への輸出品を手掛けていたデンマークのローカルメーカー。
それがロイヤルコペンハーゲン陶磁器工場との買収合併で名を改め、1889年のパリ万博でグランプリ
1年間のヨガが教えてくれたこと
2022年、ヨガを始めた。
1年半におよぶリモートワークで体は全身ガチガチ状態。
しかも甲状腺の病気になってしまい、ヨガはもはや自己管理というよりも、生存の手段に近い選択だった。
それから1年、週4ほどの地味なお家ヨガは幸いまだ続いている。
新しい仕事も一日中モニターとにらめっこで、惜しげもなく肩、首、足腰を苦しめるてくる。
ヨガ抜きでこの凝りや痛みと付き合っていくのは至難の業だろう。
ただ近
誕生日プレゼントと細やかな決意表明
年々歳をとることに無感動になっていくけど、これが「歳をとる」ということだろうか。
韓国では「歳を食べる」とも言うが、私はもう満腹なのかもしれない。
自分の誕生日に対してどことなく他人行儀なのは少し寂しい気もするけど、常日頃の感動が薄れてないのはとても有り難いことだと思う。
今年の誕生日には小石原焼のタンブラーをもらった。
外面の多くはザラッとしたガンメタル、外面の上部から内面にかけては深みのある
姫も王子もいないディズニー映画が好きだった
記憶が間違ってなければ、人生初の映画はディズニーだったと思う。
幼少期の私は30年代の初期作から90年代当時の最新作に至るまで、ディズニーワールドにどっぷりとハマっていた。
その中でも特に魅了されたのは、子供には少々ダークな一世界観で、ごく平凡か変わり者の主人公が泥水をすすりながらも、仲間とともに何とか苦難を乗り越える物語ばかり。
どうやらその頃すでに「ひねくれ英才」としての前途有望っぷりが見
よく名前を間違われる
私の名字は「李(イ)」。
日本では中国式の読み方が定着しているため、初対面の人からは大抵「リー」さんと呼ばれることが多い。
私自身そこまで呼び名にこだわってないので、あえて訂正しようとも思わないが、時々面白いことになったりする。
これは某通信会社に光インターネットのお問い合わせをした際のやりとり。
<一通りの説明が終わった後>
スタッフ:それではお客様なのお名前頂戴してもよろしいでしょうか?
私は日本で苔を生やすことにした
世間ではよく「住めば都」と言うが、私はこう思う。
人は都を、自分の居場所を探し求めるものなんだと。
そしてそれが人の定めなんだと。
「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」
私の幼少期は、正にこの古びた格言そのものだった。
通った幼稚園と小学校は計8。
引越しはもはや遠足気分の年中行事だ。
「自己存在感」や「地元意識」が芽生える訳もなく、
拭いき