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誕生日プレゼントと細やかな決意表明

年々歳をとることに無感動になっていくけど、これが「歳をとる」ということだろうか。
韓国では「歳を食べる」とも言うが、私はもう満腹なのかもしれない。
自分の誕生日に対してどことなく他人行儀なのは少し寂しい気もするけど、常日頃の感動が薄れてないのはとても有り難いことだと思う。

今年の誕生日には小石原焼のタンブラーをもらった。
外面の多くはザラッとしたガンメタル、外面の上部から内面にかけては深みのあるブルーが広がる。
その深海を連想させるディープブルーは、ついついカップの内側を覗いてしまう不思議な魅力がある。

家具や雑貨に関心を持ち始めたのはごく最近のことで、語るほどの知識も経験も皆無だが、今は「こういう物に関わる仕事をしてみたい」とまで気持ちが膨らんでいる。
普段の暮らしを支える物の大切さ、またそれを充実させることの楽しさに今更ながら目覚めたのである。

容赦なく貧相な私を地面に叩きつける「デジタルの雨」にうんざりしたのもあり、そろそろ「色褪せたアナログ」に無心の憧れを抱いていた頃の記憶を呼び起こす必要性を痛感している。
あまりにも久々なので、果たしてこの記憶の召喚が上手くいくかは心もとないが、タンブラに注いだ勇気の泡が消えない内に、小さな一歩を踏み出したい。

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