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正しさが何かはわからないけど。
アンナチュナルで書きたいことはいっぱいあるけども。
生きるため、それを選択したミコトの食べるシーンが多いことは印象的である。
食べることは生きること。
そこで浮かぶ風景を一度は感じたことがあるのが生きているものの務めなのかもしれない。そう思うくらいに。
長男の出産時は朝に陣痛がきて、産院に行き、お昼はオムライスだった。
痛みで食べられない私の代わりに、付き添いの夫が食べた。
次男の出産は日曜日
表現のもとは個々の記憶だとしたら、明日もまた書き続けるでしょう
エスパルの地下で冷たいメロンジュースを飲む。
なんとなく読んだnoteのこの一文に心が持っていかれた。
わたしにとってのエスパルはエスパル仙台。
『正式にはSーPAL、英語で「S」STATION=駅と「PAL」(友達)を合わせた造語で「駅の友達」という意味らしい』
仙台は生まれ育った場所ではないのだが、父の実家なので馴染みのある場所であり、最後に仙台駅に降り立ったのは、祖父のお見舞いの時であ
食べたいとき食べたいものを口にしたときに浮かぶ満足度は幸福度につながる
つっかれたーってベッドに倒れ込みたい気持ちで帰宅しても、玄関を開ければ「おかえり」って子どもらの声がする。
ひとりなら、なんでも済まされる食事だって今日のご飯はなんだろうって用意されることに疑いがなくひかる眼を見ると、作らないわけにはいかない。
それが子育てってことでもあるのだ。
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この疲れた身体が欲するものは…そうだ、お肉。ステーキにしよう。
メニューがきまればやることは簡単だ。
な