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ぼんやりとしたイメージを少しづつ形にしていく

えいっと捨てて見えないようにしてなかったことにしてしまおう。
そう決めたのにベッドに潜りこんで目を閉じると浮かんでくる、なかったことにしたものたち。

なかったことにした事実は覚えているのに、何をなかったことにしたかを思い出せないのは幸せなことなのしら?

ねえ?と彼を呼んでも応えはなく、時計の秒針の音が妙に耳にささる。



***


もしかしたら思い出と呼ばれる記憶は、うまく上塗りされた塗り絵の様で、その色をどんどんと抜いていったら思っていたのとは違う下絵が浮かんでくるのかもしれない。
勝手に事実を自分に寄せて、ねじ曲げて悲劇のヒロインぶるみたいに。

その時、どんなふうに呼吸していて、瞳に映る景色がどうだったのか。
なによりもその時、そこにいる自分が何を考えどう感じていたのだろうか。
それこそがなかったことにできやしないものたちなのに。

***

好きの理由やどんなふうに好きかを全出しするのに躊躇してしまうのは、いい格好しいとかじゃなくて好きの温度や重さをきちんと伝えられないから。
もっと言うと、自分だけのものとしてとっておきたいから。ほら、好きなものを最後に食べるように。

それは宝箱の中にそっとそっとしまわれるものたち。
もったいなくって、飴玉みたいに何度も取り出しては舐めるの。
独り占めしたい欲張りな私がそこにはいる。

なかったことにしたものたちも、宝箱に入れてしまい込んだものたちも。
どちらも心の奥深いところにストックされている曖昧な感覚の数々。

ぼんやりとしたイメージを形にしていく、輪郭を与えていくことが言葉にするってことならば同じものになるはずなんてないんだ。

それは私自身。
私の内側から出てきたものであれば、それはおのずと自分の言葉となって、私自身を照らすから。
いつか誰かの胸に届くと良いな。
そう思って手紙のように文字を打ち込むのだ、なんてね。
そう茶化して終わりにできない思いがあって、言葉にできない何かを大切にしたいから、言葉で伝えたいって思うんだろうな、たぶんきっと。

目を大きくひらいて、心の内のさらに内を見るんだ、その先に私が待ってる。
それは私という名のあなたかもしれないから。
ひとりの中にある深いもの、それを表現できたならば。
伝わった、その感覚をきっと誰もが一度は覚えているって信じているのだ。




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