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ご飯と仕事

昔は出来なかった事が今では出来る様になっている、それと同じように昔は出来ていたのに、今は出来ない事がよくあるのが仕事なのかもしれない。

それは丁寧さや、個々に寄り添う気持ちとか。
経験を積むことで効率優先になりがちな自分の姿に後輩の行動をみて気付かされて、反省したりする。

マイペースとか周りを見ないと評価される行動ではあるし、そこに改善が必要なこともひとつの事実だけど、そこに彼女の意思を感じてその思いが夏空と同じくらい眩しく感じたのだ。


***

「ご飯と仕事」
この言葉から浮かぶものは何?

自分が欲するものを美味しいと思うものを食べて、血となり肉となり活力となり仕事(活動)するって最初に浮かんだ。

「ライフワークとライスワーク」
さてこの言葉からは何が浮かぶ?

食べることは本能だから、そんな区別は嫌いだって思う。
食べるのは生きるためというか生きる喜び。

やりがいのあることが尊い仕事で、食うための仕事はちょっと…みたいに区別するものではなくって。
つながっている仕事と生活とご飯。
それをどうしたいのか、それを決めるのは自分自身だと思っている。



***


続けていても意味ないのかなってしょんぼりしながら、それでもパソコンを開いて文字を打つ。

個々の記憶ってなんだろう?いわゆる思い出って呼ばれるものたち。
確かに感じたあの感情を、掌に乗せて、眺めているうちに氷のように溶けてしまいそう。
角度を変えて眺めていたら気がつく、鈍く優しく光るものを。

掌から溢れてしまいそうな個々の記憶には、意味なんかない日常の風景も含まれていて、その時にはなんとも思っていないのに、あるきっかけでまざまざと浮かび上がってくることがある。

そのスイッチを入れる文字の羅列が、どれだけ自分を形どってきたのだろう。

なんか好きとか、楽しいとか美味しいとか。一緒にあの場所に行って転んじゃったねとか、亀が泳ぐ姿をはじめてみたんだと少し興奮して話す彼の横顔とか。

全部全部、覚えているとは言えないけど、確実に胸にある。
それは料理をしながら、「今年の夏休みどうする?」って会話から浮かんできたり、なんとも思わず読んだ小説の一文からだったり。

ありありとした手触りで思い出すことができる、それが個々の記憶。
現実にはすれ違うことすらなくても、文字を通して関係をもつことだってできる。
だから安心して、文字を打てばいいのだって思う。
たとえ読んでくれなくたって、いつかきっと思い出す何かに触れる可能性はゼロではないし、そんなふうに交差する世界のひとりであるってことは、わたしもあなたも同じだけの可能性があるのだから。



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