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掌編小説/甘くて苦いベロの先をもう一度

唇は忙しい。

てかてかに光らせてスペアリブを食べたかと思えば、澄ました顔でアイスティーをストローですする。

第一印象の嘘かホントか、甘い言葉を耳元で囁いたかと思えばさよならを告げる口の開きで相手を驚かせる。



***


「別れて欲しいんです」
ピンクの唇、茶色の眼とカールされた髪が愛らしい彼女は、私の眼を見つめてそう言う。
「それは彼が決めることだと思うけど」
言葉を返す私の唇は赤い紅で彩られている。

ひとつの独立した器官のように動く唇は私の一部のはずなのに、私のものとは思えないくらい大きく、意思を持って動き続ける。

***


マコト、名は体をまったく表さないくらい不誠実な名を持つ彼が家に住みすいてどれくらいたつのであろう。

仕事場のバイトとしてやってきた彼。
仕事後の飲みで「終電なくなったので、泊めてください。大丈夫です、オレ、マコトなんで、誠実の誠でマコトなので」

そんな調子の良い言葉とともに、住みすいて約半年。

ひとり暮らしの部屋にするりと入り込んできた彼は、私の心の中にまで入り込むのも造作なかった。

期待すれば期待するだけ悲しくなるから。

年下の彼との生活は今だけのこと。
コンビニのアイスを買いに適当な部屋着で、手をつないで歩いたり、お互いの一押しの映画をカーテンを閉めた部屋の中で見たり。
家事ヤロウで仕入れた、簡単料理ってやつを一緒に作ったり。

いつか終わるから、いつまでも続きはしないから、そんな透けた未来を想像していたからこそ楽しかったのだろう。
いや、違う。自分の本心を認めたくなくて、ぐっと唇を噛みしめる。

「全部、負担になるのは嫌だから」
いいよ、という私の言葉をさえぎりその時払える金額を、必ず払うところが誠の名のとおりで。
するりと入り込んできた彼の事を、たぶん彼の方よりも余分に好きになってしまっているのは私のほうだ。
好きのバランスが半分づつ分けられたら良いのにな、なんて思うくらいにバカけたことだけども。


***


「だって、迷惑じゃないですか。そんな大人の姿でそばにいて」
彼女は言葉を続ける。

全面的にうなづくことはできないけど、彼にお似合いなのは同じ年頃の女の子なんだろうなってのは、大人としては思う。まあ、大人の定義って考えたら皆20歳過ぎているから前提がなんだって話でもあるけども。

そう頭の中で思っていると
「ずるいんです、あなたみたいな人がいなければ、きっとマコト君も自由に過ごせると思うんです」


「ほんとかな?人は変わらない。その人の好きなようにしかならない。
誰と出会い誰を好きになるかなんて、それこそ最大の自由なんじゃないのかしら?」
思わずそう言うと、今度はキッと私の眼を睨むように見つめる。

おお、その眼があなたの本当の姿なら、嫌いじゃないよなんて思うくらいには、年月を重ねてきたみたい。
その本気の思いで、彼に思いを伝えたら良いのに、そのピンクの唇で。


***


いったい私に何を望むのだろう?

気持ちのベクトルの向け方を自由自在に動かせるっていうのなら苦労はしない。それが可能ならば、巷にこんなにも映画や本もあふれていないだろう。

月が綺麗ですねが愛していますのかわりになるような言葉のやりとりの時代から、令和の今に至るまで、自分の思いと相手の思いのままならさに振り回されるのが、人間なのに。

自宅のマンション前でふと上を向く。自室の灯りが見える。
とりあえず彼はまだそばに居る。
これから先がどうかは分からない。

けど、この唇でなすべき最大のこと。

甘くて苦いベロの先をもう一度。

好きなの、彼の事が全部。
そう呟く声をヒールの音にかき消しながら彼の待つ家へと足を早める。



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