意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.01 受験に集中した高校時代の自分を壊すし自由を取戻した日々 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
教養課程の体育分野でも大学ならではの思い切った科目を選び大きく人生を変えたという話です。しかも人生の友となるスポーツ種目が…
小学生時代に本格的な勉強のスタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の
意識的に自分の殻を壊す
です。
教養課程の一般科目の話はこちらで
スポーツでも有名な大学だったので、教養課程にはユニークな科目が有りました。
選択したのは硬式テニスとスキー。
無難な硬式テニスは、中学で軟式テニス部、高校ではたまに気分転換で昼休みに硬式テニスをしていたので土地勘が有り選択。遊びで軟式から硬式に移ったもののフォームなど全く異なり授業で基礎からやり直したかったからでした。
高校では無い大学での硬式テニスの授業は有効で、フォームの矯正は半年で完了しました。
しかし素直に授業で習った直後は良かったのですが、その後自宅付近のテニスクラブに入って面白がって軟式打ちをしてたらフォームがめちゃくちゃになってしまいました。(笑)
大人しく授業で習ったフォームで打つ分には良いのですが、ウケ狙いの遊び心を出して軟式フォームで硬式ボールでの変化球を打とうとすると酷いことに…
この長閑な時代の都心に有った理工学部の敷地内のテニスコートは無くなって、今は63号館という大きな建物になってしましました。
そしてもう一つが本命のスキー。
そもそも中学生時代越後湯沢のスキー場でスキー場でのパトロールという仕事をしていた友人の叔父さんが、ガールフレンドと一緒に引率してくれてデビュー。2シーズンで2泊3日を2回でパラレルまでできるようになっていました。
そもそも体育会系ではないので体力はそこそこですが、リフトでもらった位置エネルギーをコントロールして運動エネルギーに。そのスピード感を楽しむことは得意だと感じて居ました。ですから土地勘有り。
大学に入学したらやろうと
ロシニョールのストラートという板
ルックのビンディング
ノルディカのブーツ
ゲルマのストック
を揃えて、その時を待ち焦がれていました。
ということでスポーツ有名校という折角の機会なのでとレアな選択科目を選びました。例えば至近、北京オリンピックのノルディックスキー複合団体競技で、卒業生のみのチームが7大会28年ぶりの表彰台に登りました。五輪複合団体「銅」。それ位のレベルの高さです。
この科目は期待通り本格的でした。先ずは休日に2回人工スキー場に丸1日行き、冬休み期間中に1週間合宿するというカリキュラム。
人工スキー場は狭山スキー場でした。
パラレルができたので、最上級者クラスに入りました。座学は読めば分かるということで、実習のみでした。ここでの基礎は楽勝でしたが、しつこい位基礎フォームの叩き込み、特にカッコつけて板をつけ過ぎる等の悪習を矯正されました。古典的な指導スタイルはやり尽くすかの様に。
合宿が楽しみでした。
期待の合宿は信州 野沢温泉 常盤屋旅館。大学のスキー部の常宿でした。老舗の旅館でとても味が有りました。今でも当時の面影を色濃く残して営業されているようです。
野沢温泉スキー場は雪質も良く、コースも充実。流石スキー部が練習場として選んだなと感心しました。都心からは少し距離が有りますが、それだけのことはありました。リフトも充実していて待ち時間無し。スキーブームの当時としては貴重。
少人数制で、マンツーマンの時も。コーチの指導も都度その場で入りました。競技選手にでもなったかの様でした。勿論、クロスカントリーで長い列になって大人数で指導を受ける時も有りました。緩急を上手くつけている感じ。
短期間で大きく成長したと実感できるプログラムでした。
人工スキー場の日帰り指導とは異なり合宿では夜はみっちり座学。当時は最先端だった映像授業。しかも各個人の滑走を録画してスポーツ科学的に論理的かつ具体的に指導されました。
この科学的というところが理工学部の学生には感動的。
今では、一般的になっていますが、当時は最先端。
この流れは後にスポーツ科学部として独立した学部に昇華されました。過渡期だったんですね。
1週間有るので参加者全員、個別に充実した指導を受けられました。
高校の選択と集中のストイックな生活とは真逆。
しかもどの体験も中途半端な遊びではなく本格的な大学生活でした。
スキーは今でも例えば軽井沢のアウトレットで吾妹達が買い物中、道具を借りてまで隣接のスキー場でスキーを楽しむ程好きです。付き合ってくれる子供はスノーボード派ですが(笑)
つづく
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