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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2022年12月の記事一覧

時間を「大切に・ゆっくり」使う

時間を「大切に・ゆっくり」使う

「時間を大切に」というと、「一分一秒ムダにしない!」というほうにばっかり、意識が向きがちで。
――「時間の短縮」とか「時間の節約」とか、そういうことばかりを思い浮かべてしまうし、実際、自分も、そこにまるで取り憑かれたようになっている部分がこれまであった。

無論、その観点も大事だ。
が、しかし、「時間を大切にする」って、それだけだろうか?と、私はこの度また思い始めたわけである。

「時は金なり」な

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「全部知った気になる」と「知識欲」は薄まる

「全部知った気になる」と「知識欲」は薄まる

いや、でも、ついつい、「全部知ったふう」「全部わかったふう」になってしまう自分。

――そのほうが、不安がないからだろうけど。
(悪気はないんです。笑)

でも、そうなると、新たなものを、吸収しようとしなくなる。
――新たな材料を加える、ということは、場合によっては、「考え方の設計をし直す」ということにもなるから、そこを面倒に感じてしまうのだろう。

そうだなあ。
「考え方の組み直し」を、厭わない

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雑記・随筆BEST of the Year 2022〈いいねを多くいただいた順〉

雑記・随筆BEST of the Year 2022〈いいねを多くいただいた順〉

いや、はじめはフツーに、全記事対象にして「今年いいねを多くいただいた順」で並べようと思ったんですけど。

そしたら、(ページのトップ記事に月替わりで固定していたこともあって、)「80年代アイドルPOPS関連」のものが、多くその上位を占める結果となり。
(ま、「布教活動」としては良い結果を残せた、ということですね。笑)

――でも、「アイドルPOPS記事」は、年を通して本数はそんなに書いてはいないも

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「批判」を「自己顕示欲」の道具にしたくない

「批判」を「自己顕示欲」の道具にしたくない

というか、これから書くのは、「自己顕示欲」の、その匂いをさせては残念なことになる、という話なのだと思う。

至極端的にその理由を言えば。

「批判」はあくまで「批判」であり、そこに「我、ここにあり」みたいな空気を混ぜ込むと、途端にそれは、純然たる「批判」ではなくなって、その人を飾るための「装飾品」に、どこか変化してしまうからだ。
(多数且つ広範囲の人の支持や耳目を集められるような、元々がそんな好感

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「透明な雪景色」-忘れても憶えているものだ-

「透明な雪景色」-忘れても憶えているものだ-

「あれ、この本、自分、読んだことがあるな。」

――すっかり、その本を読んだことを、忘れていた自分。
(たまにこういうことがある。笑)

しかし、「忘れていた」けど、「憶えてもいた」のか、と、ちょっと驚いた。

よくよく調べてみたら、――その本を読んだのは、なんと30年くらい前だったからだ。
(発売されてすぐ読んだ記憶があるのだ。)

「忘れている記憶」。
――その蓄積、その層の厚みに、ちょいと、

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比べさえしなければ「今現在」が一番いい

比べさえしなければ「今現在」が一番いい

「時間」とは、
「現在」「過去」「未来」であり。

そのうち、
「過去」は「記憶と記録」でしかないし、
「未来」は「予想・予測」でしかない。

と、なると、
「時間」が「存在する」のは
「現在」だけ、
いや、もっと言えば、
「今のこの一瞬だけ」とも
言えるのかもしれない。

そう定義してみると、
「現在」というものは、
「記憶や記録」「予想・予測」とは違うのだから、
「過去」とも比べられないし、

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「人間」だけが自分を取って食おうとする?

「人間」だけが自分を取って食おうとする?

いや~、動物も植物も、人間以外の生物は概して、見ているだけでも、つまりそこに存在するだけでも、私に「癒し」を与えてくれるというのに。

どうしてなのだ??
「人間だけ」が、何故そこから除外されるのか?――同じ生物のはずなのに。

と、考えてみたのだが。

「自分を危険に晒す可能性のある生物」には、そりゃあ、癒されないわな、ということだ。

「概して人間以外の生物は」と冒頭で書いたけど、しかし、檻も

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「怒り」を「リレー方式」にするのが嫌だ

「怒り」を「リレー方式」にするのが嫌だ

子供の頃、親に怒られた時に。
「この説教の内容は確かに正しいのだが。
……でも絶対これ、溜まっているイライラを晴らすためのその『八つ当たり』に、この叱責行為を利用しているよな?」
なんて感じたこと、ありませんか?(笑)

で。
言われた内容は「ごもっとも」だとしても、そうなると、「何かムカつく」もので、「素直に従う気になれない」モヤモヤを生み出したりして。
(何も良い方向へ進展していないの図の完成

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「その人がその人であることを否定すること」

「その人がその人であることを否定すること」

「その人がその人であることを否定すること」って、「人を人とも思わない」ということだと思う。
――ある種の「想像力の欠如」ではあるが、それにとどまらない、ということだ。

いい加減、いい大人になれば、「人はみんなそれぞれ違う」ことくらい、誰だって、本当は解ってはいるはずだ。

しかし、それを無視して、「少数者は多数者と同じになれ」と言う。――「多数者が絶対だ」と言わんばかりに。

――これを読んで、

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全て「いずれ終わるもの」と捉えておいたほうが

全て「いずれ終わるもの」と捉えておいたほうが

今の仕事然り、人間関係然り、「毎日note」然り。

良い事も悪いことも……好きで楽しくやっていることも、嫌々ながらやっていることも。(笑)

「ずっと続く」なんて、思わないほうがいいのだろうな、と思う。
と、なると、「ずっと続けよう」とか「ずっとここにいなきゃ」とか、そういう「ねばならない」系の意識もまた、いらなくなる。

「全て、いずれ終わるし、終わらせるのだ」というふうに考えて。
――「続く

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記録すること-「無くなるわけではないのに消えてしまうもの」ばかりだから-

記録すること-「無くなるわけではないのに消えてしまうもの」ばかりだから-

私が日々、こうして自分の考えを文章化しているのも、「忘れてしまうから」というのが、一番の理由なのだと思う。

「忘れる」は、「知らない」に戻ることでは、けっしてない。

――ないのだが、しかし、自分自身の「意識上」や「視界」から、その「姿」は消えてしまうことを表していると思う。(「自分の中にあるもの」なのにもかかわらず。)

そして私は「ドケチ」なもので(笑)、そうして「消えてしまう」ことすら、も

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「運命に問われている」と思うことにする

「運命に問われている」と思うことにする

例えば。
「最期」がない人はいないわけだ。

その「最期」――あの世には何も持っていけない、その「最期」に、魂だけになった時、どのような魂になっていたいのか。

問われているのは、ただただ、その一点なのではないか、なんてことを、ふと思う。
(年末っぽいですね。笑)

いつ何どきでも。
何が起きたとしても。

最終的に、試され、問われているのは、「それで、自分自身はどうありたいのか?」ということなの

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「幸福感」と「おおらかさ」

「幸福感」と「おおらかさ」

私が大人になって失ってしまったもの。

(たくさんあるけど、笑)その中の一つが、「おおらかさ」かなあ、と思う。

そして。
どうも本来の私は、性格的に、「おおらかさ」と「上機嫌」が、セットになっている部分が、人より多くあったのではないか、なんて、最近思い始めているのだ。

つまり、「おおらかさ」を失うことに伴い、「上機嫌」で過ごす時間の分量も、少なくなっていったのではないか、と。

とはいえ、子供

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まだ頑張る?もう頑張れない?-「根性論」は抜きにして-

まだ頑張る?もう頑張れない?-「根性論」は抜きにして-

「がんばってもどうにもならないこと」は存在する。

が、しかし。

反面、「がんばらないとどうにもできないこと」も存在する。
「がんばったからこそどうにかできたこと」も存在する。

――さて。

本日は「どこまでがんばるか」問題を考えようと思う。

私はこの答のカギは、「充実感」にあると思っている。

その「充実感」は、「がんばった結果」ではなく、「がんばっているその過程」についての、「充実感」で

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