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「運命に問われている」と思うことにする

例えば。
「最期」がない人はいないわけだ。

その「最期」――あの世には何も持っていけない、その「最期」に、魂だけになった時、どのような魂になっていたいのか。

問われているのは、ただただ、その一点なのではないか、なんてことを、ふと思う。
(年末っぽいですね。笑)


いつ何どきでも。
何が起きたとしても。

最終的に、試され、問われているのは、「それで、自分自身はどうありたいのか?」ということなのかもしれない。

例えば、自分の「身体」は案外、自分自身ではどうにもできなかったりすることもある。
――けれど、そんな時ですら、自分の「魂」だけは、唯一、自分でどうにかできるわけだから。

「魂としての自分は、どうありたいのか。」
――「その問いに答え続けること」が、即ち「生きること」だと、私は解釈してみようと思う。

ところで。

途中、(年末っぽいですね。笑)……なんて書いてみたけど。
え、もう今日は17日なの?!早いな!!

――と、こんなふうに、死ぬ間際まで、「え、もうそんな頃なの?!早いな!!」なんてことを、自分はまた思っていそうだなあ。(笑)


「そんな問いの答なんて、考える間もありませんでしたよ」っていうのも、それはそれで、アリなのかもしれないですね。

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