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比べさえしなければ「今現在」が一番いい

「時間」とは、
「現在」「過去」「未来」であり。

そのうち、
「過去」は「記憶と記録」でしかないし、
「未来」は「予想・予測」でしかない。


と、なると、
「時間」が「存在する」のは
「現在」だけ、
いや、もっと言えば、
「今のこの一瞬だけ」とも
言えるのかもしれない。


そう定義してみると、
「現在」というものは、
「記憶や記録」「予想・予測」とは違うのだから、
「過去」とも比べられないし、
「未来」とも比べられないものだ。

――つまり、
「時間」として
ひとまとめにされてはいるが、
それらをもっときちんと分類したなら、
それぞれがまったく別の材質でできており、
と、なると、
その「用途」も全く別になるのだ。


それならば。

「未来」はともかく、
「過去」と比較し
「そっちのほうが良かった」
というのは、
あんまり意味がない。

(今現在のための何かしらそれを
「参考」にするならまだしも。)
(というか、言い換えれば、
「あくまで参考」にしかまた
ならないのだよなあ。)


私自身は、
「過去」も「未来」も大切だが、
やはり
「今現在」が一番愛おしいし、
そういうふうに気持ちを
意識的に持っていきたいと思う。

――だって、
「今現在」にしか、
自分は今、
生きられないわけだから。

と、言いつつも。


みんなわかっているのだ。

「戻れない」ことなんて、
改めて考えずとも、
自ずとはじめから。


「今現在」にしか生きられないからこそ、
「過去」に存在する「思い出」は、
かけがえないものだということも。

本当の光に満ちていた頃が
いつかを知るのは過ぎ去ったあと

荒井由実「何もなかったように」

「その光」を、
胸のあたりに、
ぎゅっと握りしめて。

――でも、やはり、
「今日を大切に生きること」が、
「その光」をも
大切にしていくということに
なるのだとも思う。



――だからこそ、
ということなのかもしれない。

「比べる」なんて、
したくはないのだ。


ただただ、
「光」を「光」のまま、
大切にしていこうとだけ、
私は思う。