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感情・わたしは芸術【24.06.10版】
人間に私のことを人間だと認識してもらえていることをふとしたときに感じると、不思議な気持ちになる。人間の仲間にいれてもらえていることを大袈裟に喜んだりもする。少数派と自覚する人々が口にする「自分は変わり者だ」「社会に馴染めない」などの葛藤以前に、私は私自身のことを人間であると思えていない。
ひとと会話をしたり、私の存在が誰かのなかにきちんとあるということを「好き」という言葉と共に伝えてもらえたり、
感情・わたしは芸術【24.05.29版】
今の私には、スイッチがたくさんある。
つけたほうが良いものをつけないときや、消しておかないといけないものを消し忘れたりもする。まだ体内で発生する電気代に影響はない。だからまあいいかと思う。そこに強迫観念があまりないことも良いことだと思う。強迫が弱いから、今日は餃子を適当に焼いて、綺麗に並べずに皿へ盛った。美味しかった。半額のクリームコロッケも食べた。パックのままで十分だった。ソースが均等にかけられ
感情・わたしは芸術【24.03.17版】
まちなかで視界に入る人間の髪があまりにも輝いて見えて、いかに私の髪が死んでいるかを思い知るようになった。ここ数日でその感覚がより強くなって、より惨めな気持ちになった。逆に言えば、そう思えるくらいには外に出ることができていて、出たら出た分、外の世界に興味をもつことができているという変化でもあって、良いことでもある。
もうずっと、自分を大事にできていなかった。
内側の自分のことは、大事にしていたと
感情・わたしは芸術【23.11.15版】
ところでわたしは何者になろうとしているのか抽象的だとしてもきっと何かを探しているのだろうなと気づいたり気づけきれていなかったり別に本当は無機質でいたいのになぜか許されないように感じて型取りをするための粘土を生成する材料集めに出かけているような、なんか違う気がするこの頃は、やりたいこととやりたいことを繋げたときにいったい、なにをやっているひとで在るのか、他人事のように気になって仕方がない。
詩を書
感情・わたしは芸術【23.09.17版】
仕事をしているひとってこれくらいのことをフルタイムでとんでもない量をやっているんだろうな〜って、ふと現実を思い浮かべるたびに悔しくなる、だって仕事つらいと言いながらも這いつくばって行って私にはできない"これくらいのこと"をするのが日常なんでしょう。
つらいって言うのは自由というか、つらいものはつらいけれど、でも、這ってでも行けるならそれは私にはできているってことにしか見えないから、私はその日常が
感情・わたしは芸術【23.06.28版】
医者の診断に基づいて病気を認識していたのも正直なところだけれど、心身の不調を明確に感じることで、ああ本当に病気なんだなと再確認してしまえて、しんどい。どれだけ薬を飲んで、どれだけ今よりましな状態に向けて努力を重ねて目指しても、たとえ一瞬だけでもそれを手に入れても、病気は病気。障がいがあっても楽しく、とか、そこにたどり着けるひとなんて運の良さでもあると思う。障がいを抱えたまま、できる範囲のことをでき
もっとみる感情・わたしは芸術【23.05.25版】
『薬を飲むこと』は、何年も同じ夜の作業を繰り返しても、ずっと無理(苦手)すぎるのに、オブラートを四枚使ってそれでもなお、逆流しながら(させながら)生き延ばしている。" 生きたい ”と願ってはいないのに、通院をして、服薬をする。だって、本当に生きたいと思っていたら、もっと成せる人間だって知っている。私の過去に、現実の過去に、『なんでもできた私』がいることを消せない。もともとの最底辺くらいの日常を、な
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